[未校訂]元禄の大地震 元禄十六年(一七〇三)十一月二十三日
夜九ツごろ(午後十二時)関東に大地震・大津波があった。
民家多く倒潰・流失し、溺死者は数を知らず。地形は変じ
て安房の東部は陥落し、西部海岸は隆起したという。
小久保村ではえび田の四郎左衛門道下の川中まで魚類が
およぎ上ったと伝えている。
金谷村の正徳元年(一七一一)の年貢割付帳にはこの地
震の山崩により田三畝一五歩、畑一反七畝一〇歩が、減少
したと記しているのを見ても被害が甚大であったと想像さ
れる。
この地震の震源地は房州沖で、マグニチュード八・二と
推定され、潰家二万一六二軒、死者五二三三人に及んだと
いう。市内の被害はわからないが隣の保田浦では津波のた
め三一九人が死亡し、海辺の死人の頭・手足を犬がくいち
ぎってくわえ歩いたと記されている(『鋸南町史』)。
西川村正珊寺の鐘はこの地震で落下、破損したので再造
した旨を鐘銘に記してあったが第二次世界大戦で供出して
今は残存していない。