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西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

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項目 内容
ID J2100145
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔松代町史 下〕埴科郡松代町(現長野市)S4・5・30 大平喜間多編 松代町役場
本文
[未校訂]当時の流行唄に
地震よりいでさい河溜る花の善光寺丸やけだ ヲコツトカ
ワラダタアント〳〵
然れども三国一の霊仏と聞えた善光寺本堂の儼として霊光い
とゞ高きによつて
地は震ひ山は崩るゝ世の中に何とて弥陀はつれなかるらん
此度は床も取あへず潰れ家のもみあふ人は壁のまに〳〵はる〴〵の道を詣でし善光寺地震にあふてとんだけちゑん
などゝいふ落首も出来た。又
善光寺しなのでならで死うとはゑんぶだごんの一言もなし
歎くとて帰らぬものをおもへどもかこち顔なる我なみだか

地震してあとは野原となりにけりただ有明の月ぞのこれる
尋ぬれど問ふ人もなし焼野原今一度の逢ふこともがな
我ばかりつれなく友に死わかれあまりてなどか人の恋しき
といふやうな落首も出来た。以て其惨状の程を知るべきであ
る。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1345
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 松代【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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