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項目 内容
ID J1800499
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔松阪市史〕
本文
[未校訂](地震の記〈抜粋〉)竹川竹斎記
[松阪]
松坂所々家崩土蔵落候事追々聞エ高汐、松崎辺床上弐尺位ト
云。
小津家々壁破一棟梁折落込居屋鉢巻瓦等落三井蔵三四寸ツゝ
破、同替為役所社々門半倒
津島屋蔵壁落、職人町中川長屋四軒到
職人町長井家壁不残落、青木半兵衛小座敷并土塀潰倒
小壁之いへいえも落候、長谷川蔵之大損し本町より大橋迄之
処別て甚、裏通り所々倒家有之
蛸路堀口蔵之壁落瓦落、下蛸路、八田は魚屋之蔵一列もな
し、家々ゆがみ、壁落等多田の破、青名ヲ吹出し所有之、近
辺ニては蛸路之地大荒也
六日
松坂蔵崩損し五百戸程有之届之由、須賀屋蔵之壁落所々大損
三百両斗之損し候由中九物語也。匂村油瓶溢之破五十瓶程、
正油多く桶より溢且倒等有之是義弐三百両之損ト云。
(随筆耳の垢)
四日辰下刻大地震、市中土蔵家崩レ誠古来不覚地震六月ノ節
ノ十双倍ト申歟、最早此世滅シ候哉ト生タル心無之、凡半時
ゆりづめ、昼ニテ怪我人無之、五日申刻又厳敷震動猶々驚大
口、松崎辺高汐床上壱尺七、八寸、南島津浪家蔵申不及怪我
人多、翌正月、二月迄毎々震動有之、東海道大損ジ
(黒部史)
「安政の津波」安政元年十(十一)月四日、大地震と共に津浪襲来此
時高州の人々は弁天山に逃込み亦里中の牛を此山につなぎ危
難を免れたと云ふ。当時、松の大樹に登り、此津浪襲来の模
様を見て居たと云ふ(高州松林市松氏祖父)の話に、「初め鯛
の子の沖合を眺めたら圦合(伊勢湾口)より高い大きな浪が
三筋になつて現れ一筋は、白子方面へ、一筋は津沖方面へ、
一筋が大口入江高州の方へ向つてやつて来た、あれが皆こち
らを向いて来たらそれこそ大変な事になるのであつた」と常
に此人の一つ話であつたと云ふ。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 1260
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 松阪【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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