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項目 内容
ID S00001833
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 一八五五年安政江戸地震(安政二年十月二日)
書名 〔大地震之次第〕船橋市郷土資料館所蔵武藤家文書「大福帳」
本文
[未校訂]大地震之次第
安政二卯年十月二日夜四ツ時頃、古今稀成大地震、江戸町ハ殊外厳敷、御屋敷者不及申、町中大乱ニ御座候、右ニ付潰家・蔵共数不知、江戸表町中ニ而、即死人凡拾弐三万人と申計ニ候、御屋敷之義者、種々評判ニ有之候へ共、凡十万人余、尤田舎ニ者格別ニ即死人無之様子、江戸内ニ而も本所・深川別段大破相見江申候、前代未聞之儀ニ御座候、
右二日夜之事ハ中〱筆紙ニ難及、翌日ゟ昼夜ニ而五、六度ツヽ者、凡三十日計り之間、毎日ゆるぎ候、去なから当所ニ而者潰家一軒も無之、尚又、即死人も無様ニ御座候、行徳辺、市川辺、松戸近辺者相応ニ破家有之候、尚また怪我人も壱村ニ而凡十人計り候も有之由、去なから当所ニおゐてハ別段即死人も無之、全当所之鎮守 太神宮様東照宮様御両宮之御利益と一同難有拝礼いたし候也



註:本史料は、五日市(船橋市)の米屋宇之助が記した「大福帳」にある安政江戸地震の被害記録である。「大福帳」には寺社参詣、安政二年地震、安政三年台風、桜田門外の変などの政治の動向等について書かれている(高山勝子「大福帳(宇之助一代記)上」『宮本の歴史を作る会会報』三号、一九九一年)。安政三年台風での船橋における被害は大きかったが、安政江戸地震による被害は小さかった。松戸・市川などでは被害があったが、船橋宿周辺では怪我人も出ていなかったことがわかる。
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 千葉
市区町村 船橋【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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