[未校訂]十二月(安政二年)(ママ)二日ノ夜四ツ時、夜明迄十ド(度)毎日四ツ五ツ位
大々地震 所々地ワレル、西東へ割め通ル、北南ノサケメスクナシ、地震ノ前江戸ニテ閻魔ノ子、土方ノ子ト云ハヤシ有、此地震ノ前兆カ考ベシ
江戸吉原、本所、深川殊ニ甚シ
江戸潰家出火ニテ死人不知数
二日ヨリ廿九日迄ヒル(昼)二十八ド(度)、ヨル(夜)五十二ド(度)内廿三日斗ヒルヨル一ド(度)モナシ
註:本史料は、下総国千葉郡鷺沼村(現千葉県習志野市)の医師渡辺東淵が文政七年(一八二四)から安政六年(一八五九)の三十六年間にわたり近隣諸村で起きた出来事を記したものである。『習志野市史』解説によれば、諸記録や本人の記憶をもとに後年東淵自身の興味ある出来事を年次ごとに編さんしたものであるとする。本史料の前の記事には、左記のような前年の安政東海・南海地震の際の鷺沼村での記録もある。
十一月(嘉永七年)四日朝五ツ、亦夜五ツ少々
大々地震 亦五日クレ六前少々
○六日九ニ亦少々
上方筋大ニ荒シト云々、其外所々