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項目 内容
ID S00000994
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1853/03/11
和暦 嘉永六年二月二日
綱文 嘉永六年二月二日(一八五三・三・一一)
書名 (江戸時代小田原震災資料)
本文
[未校訂]地震三度水溜桶の水溢る此同刻相州小田原城下町々をはじめ神戸大磯宿大山辺箱根伊豆の熱侮三島の辺に至るまで地震数度に及び同夜子刻に至り人家を覆し火災起り死亡の輩あまたありしとぞ
嘉永六年二月二日地震 明治小田原町誌
二月二日夜四ツ時より大地震九ツ時迄弐度大ゆれ致おひ\/ゆれ其日内ケ浜のはたけへ竹のはしらにてこやがけ致し十日迄おり内にはたれも居不申おり\/見廻り近所も皆相廻り皆々家業やまぬ事に世のめつするとは此事かと存候其節通町にては門の外へ皆々かこいいたしすまい候其時は破そん壱番竹花弐番須藤町三番大工町四ばん山角町筋かいはしあとは土蔵いつとうにはそん致し候
早□手当申付御別条無之候且往還道筋之儀モ同様手当申付通路差支無御座候田畑損毛之儀ハ追々可申上候此段御届申上候 以上
二月十九日
大久保加賀守
右之通御用番阿部伊勢守様江御届申上候ニ付此段申上候 以上
大久保加賀守
二月十九日 高沢六左衛門 福泉寺   古文書        入谷津
嘉永癸丑年二月二日朝四ツ時大地震也
御城内強屋片多門矢倉二日八ツ時落ル ヘイ通ス残ル上下幸田須藤丁大工町竹之花近辺強ク在ハ岩原塚原和田竹松近村ハ強ク四日之間野宿家中在町テハ大稲荷拝殿瓦天井板落本堂大破損石垣角々崩ル寺ハ不残半潰在方ハ死人四十八人以之有 町方ハ負傷者無シ
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 神奈川
市区町村 小田原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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