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項目 内容
ID S00000945
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1853/03/11
和暦 嘉永六年二月二日
綱文 嘉永六年二月二日(一八五三・三・一一)
書名 160 嘉永六年二月小田原大地震救米などにつき関東取締出役より達し
本文
[未校訂]当月二日相州小田原宿最寄(もより)村々ニ至迄大地震ニて、城内始メ宿村おも家・土蔵其外悉相潰(ことごとくつぶれ)、即死・怪我人等数多有之、未ダ折々相震(ゆ)れ候由ニ付、夫食等ニも差支、人命難計(はかりがたく)、殊ニ裏々畑中或は野田ニ罷出凌(しのぎ)居り候由ニ付、其組合村々之儀は、右宿最寄之儀ニ付、身元相応之もの共は、米穀施米(せまい)差出シ候様、又は安(値)直段ニて払遣候共、差出方手(繰)操いたし、且喰物商ひいたし候もの共は、何品ニ不限是又早々持参、直安ニ売出、此度之危急相助遣候様、大小惣代・村役人共実意ニ差はまり窮民救遣候様可被取計候。右之趣早々組合村々え相達、たとひ組合無之候共、非常之儀ニ付、小田原領分無難之村方え同様通達いたし可被取計候。尚又奇特筋多分ニいたし、一廉之救等致遣し候もの共は、名前等追て取調、我等廻村先え可被申聞候。以上
丑二月五日         関東御(取)出締出役
太田 源助
曽屋村
寄場并
大小惣代
役人中
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 神奈川
市区町村 小田原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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