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項目 内容
ID J3300290
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔安芸府中町史 資料編〕○広島県府中町史編さん専門委員会編S52・9・10 府中町発行
本文
[未校訂][61]大呑家諸書付控(抄)江波・大巳静男家所蔵文政七~慶応四
大[地震|ちしん]之事
一嘉永七年甲寅霜月四之朝五ツ半時に少しの地震ゆり、五
日七ツ時に大地震にて当社御神前御立前不残でうさい
をもむことく御拝殿のゆるきたる事すてにこける斗の
3-47 地震の被害(江戸中期以降)
年代
被害状況
宝永4年10月
安芸・備後の各地で大地震。
享保18年8月
安芸国に地震。奥郡で被害甚大。
寛延2年4月
安芸広島地方に地震。
明和6年
賀茂郡竹原地方などで地震。
安永7年1月
安芸から備後にかけて大地震。
寛政元年
安芸各地で地震。
安政元年6月
畿内で大地震。安芸・備後でも地震。
安政元年11月
4日に東海地方で大地震。12日までに余震続く。
安政4年8月
25日に大地震。
安政5年12月
大地震。
安政6年9月
大地震。
慶応3年2月
地震。
注 『広島県史』近世2、『海田町史』通史編、「年代記簿」、「年代記」によ
る。
事ニ候、御立前そ(損)んじハ無御座当居宅に茂そんじなく、
尤家の内ニハおられかたく皆かとへ出、地ニふしめま
いせぬか目出度なり、当所辻嘉八宅ハ地震ニてゆり込
凡桂(ママ)弐尺斗ゆり込申候、その辺地中われ所々水ふき出
おそろしく事に候、大年辺も地中われ申候、当所お(沖)き
の土手所々われ申候、人家みな〳〵こもヲかけ人々不
残夜昼すまい致し候、同夜四ツ時まへ大地震ゆり又九
ツ時ニゆり早速村方御祈禱頼来り六日ゟ二夜三日寸志
御祈禱仕候、六日ニもゆり七日ニもゆり八日ニも折々
ゆり申候ニ付書附ヲ以御願申上候、九日ゟ十一日迄御
国恩為寸志御
祈禱執行致し候
一広島も同様大地震ニ付若殿様御かり家城内へ立、家中
町家皆かりこや、町人ハ往来の中へこ屋ヲかけ両わき
のやたりヲとふり往来す、町売人し(商売)よはい致し不申候、
此地震ハ神代より始メ而の事と申事なり
一同九日夜九ツ時ニ地震ゆり少し合ヲあけて又ゆり・十
日朝日の出前ニ又ゆり
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1312
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 広島
市区町村 府中【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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