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項目 内容
ID J3300105
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔差上申一札之事〕○新州新町 宮尾誉治文書長野市公文書館 複2・3763・027
本文
[未校訂]一金弐分也 住居障要学 印
一同弐分也 同断弥伝治 印
一同弐分也 同断佐忠治 印
一金壱分也 半潰宝蔵寺 印
一同壱分也 同断兼治郎 印
一同壱分也 同断佐五右衛門印
一同壱分也 同断紋右衛門 印
一同壱分也 同断太郎右衛門印
〆金弐両三分也
右之通当三月中強地震ニ付居家潰之者江御手充被下置慥ニ
奉請取難有頂戴仕候以上
安政五午年十一月
山穂苅村
名主与五右衛門
組頭藤兵衛
同断作右衛門
長百姓茂右衛門
同断藤八
御代官所
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 903
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
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