[未校訂] 元禄年間最大の災害は、なんといっても元禄十六年十
一月の大地震によるものである。この地震はマグニチュ
ード八、二といわれ、小田原城の倒壊、小田原町の死者
総数二三〇〇余名、鎌倉への津波、厚木町全戸倒壊でそ
の死者は五九名にのぼった。津波は須賀湊にも大きな被
害をもたらした。まず津波は湊内の船付場を破壊し、荷
揚場を押流したため、相模川上流の下り荷物や御用炭・
薪、その他商人・旗本の諸荷物一切が平浜に置かれるよ
うになり、そのため僅かな出水にも諸荷物は流され、そ
のうえ畑続きであるため作場を荒す状態になった。そう
した船付場を中心とした被害個所の普請が自力ではでき
ぬため、須賀村では幕府による御普請願いを提出した
(『市史』2資料21)。その願書の中には、当時の須賀村
が廻船によって二〇〇〇人余の人々が渡世を送っている
とあるが、津波による船付場の壊滅は、直接廻船によっ
て暮しをたてている二〇〇〇人余の人々の生活に大きな
影響を与えたことはいうまでもなかろう。