[未校訂]慶長十六年の津波について、地元大谷に次の口碑が伝え
られている。
「大谷部落の西南にあたる沼尻という所は、往古不動川の
流域で、川筋に沿い宿駅及田畑があったが、大津浪のためこ
わされて沼となったので、新たに川を掘って、南方字川窪に
向って海に注ぐようにし、それから宿駅を今の地に移し、そ
の沼を埋めて田地を開いた。現今僅かに沼形と沼尻の名の
み残っている」。
口碑の不動川は、現在大谷小学校西側を流れている[瀧|たき]
根川のことで、当時は学校の北側を東に流れていた。宿
駅を今の地といったところは、大谷漁港に近い鉄道線路
沿いの平坦地を指す。高台にある現在の町並みは、明治
二十九年の大津波後にできたのである。