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項目 内容
ID J3100138
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及関東一円〕
書名 〔牧野家日記〕丹後田辺藩(現舞鶴)の大阪日記江戸東京博物館蔵
本文
[未校訂]十ノ十二月
一去ル三日出之宿次到来去ル二日夜亥ノ半刻地震之処
公方様 本寺院様吹上御庭江御立退被遊御機嫌能還御
城内御別条無之旨御城代より被申越趣青屋より昨夕申
来ル
一右ニ付五時過より青屋江罷越同処より同道罷越帰郭正
九時
一申上振尼ヶ﨑又右衛門被承リ候処左之通申聞候
一例之通り御機嫌相伺候而引続此度地震ニ付御立退被遊
御機嫌克還御恐悦奉存候故申上ル
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ下
ページ 1465
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 舞鶴【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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