[未校訂]我邦地震に就ての古記錄
岡崎正友
緒言(略)
一、嘉永七寅大變記
嘉永七寅十一月五日石立荒神祭にて、南川原壹丁目外
にて興行有之、見物群集夥敷事也。最早九ツ過にても有
之べく、通丁風呂屋何某の家より出火の由にて、右見物
人も散亂いたし候所、無程消火に相成り、又々相撲相初
め申す也。我等其頃は南奉公人町四丁目の角に住居なり
しが、折節廱を發し痛甚敷事にて有しが、其頃は少々快
く相成居候故、隣りにすめる小林修安朝の中來り、九ツ
頃より一所に相撲見物に可参噺し合ひ歸り候後、痛も十
分に不止故、奴婢を以て約束の斷りに遣はし候。七ツ半
頃にも可有之、家内より當年は角力も今日限り、是迄度々
有之候へ共、病氣故見物も不致事故、是非見物致し可然
旨被進メ候ゆゑ、又々其氣に相成り壹人にて其所へ参り
候へ共、群集にて一向に相撲不得見、あなたこなたと立
廻り候。漸くにして土俵人を見る。諸士の若衆棧敷掛な
らべ有之内、盛組の棧敷動搖、定而例のたわむれよと思
ひをり、間もなく地動く事あたかも沖合之舟にをるが如
く、乾の空を見上れバ天色土色の如く、否や群集をおし
わけ右往左往に走出所、大地うねりくねりて足本もさだ
かならず。川原を北へ千鳥足して走りしか、道のかたわら
に、蜜柑賣り笊に入しを引かねして走る人ありしを、荷主
甚立腹の樣子也。越戸を越へ南奉公人町壹丁目へ來れバ、
家々潰れ又は半潰れに相成居候故、定而我家もとくつぶれ
たらん、今はいそぎて詮なき事、家内は遁出候哉と思ひ
つゝ、漸く家近くなるまゝ見やれば其侭立り、其の嬉しさ
いはん方なし。内へはいりて見れバ、家内何處行しや、屋
敷の内にあらざれば、そこかしこ尋ぬる中、女房娘下女歸
り來れり。それより一同うすべり持携へ、家の南堤へ行く
大地動く事止む時なし。しばらくして火事よといふ故、立
あがり見れば、東に當り火焰甚敷一杯の火なり。空中車輪
の熖舞上り天をこがす。下町にて緣類の家もあれども、震
動甚しければ只いたづらにみるのみ。夜明頃漸々にして火
鎮りぬ。蓮池町筋、紺屋町筋、新市町筋、種崎町筋、廿代
町下。山田町筋焼失、新町筋□不明□本ノマヽ山町筋新町は上壹丁分は
殘り候所も有り。家にしかれ候ものも、火勢強く助くる人
もまれにて、其侭焼死する人もかず〳〵ありしなり。實に
あはれなる事也。堤に居るにも津浪人來るよしの事にて、
朝倉近邊へ又々遁る人もあり。新町一圓汐入り惣而家中眞
如寺橋通り北へ見通し東分塩潮カ先き來りしなり。巳屋をうつ
事も當時は出來ず。夜分は布團をかぶり其侭堤にふす。夜
明見れば一圓の霜にて、布團も白く氷るし、食物も朝夕粥
の上、食鹽もなくそこやかしこにて孰れもわけ合ひ給へ申
す也。恰も戰場にて野陣はるごとし。女も脇差刀爲差シ
也。日を經て漸く屋敷の中へ假巳屋建て移りぬ。夫れ迄は
有縁無縁一同住居、欲氣を放れ美しき心にてありし。實に
孰れも不自由謂はん方なし。我等は家も潰れざりければ、
薪水食料には事缺かねども、見るにつけてもあはれなれ
ば、少々づゝは心の限り人にもあたえしなり。此末いかゞ
なりゆかむ、又もや大地震沉み露と消えなんとやすきこゝ
ろもなし。
(注、諸大名からの報告十件、既出のため省略)
從江戸十一月廿七日立臨時御飛脚到着然ハ御國許稀
成地震ニ附御歸國御早メ之御書取同月廿七日安部伊
勢守殿へ御差出御座候處御落手ニ相成仍之近々御暇
被爲蒙 仰候ハヽ江戸表早速御發駕被極筈之旨
御左右相達候ニ附御用意等不差閊樣可致首尾之旨御
奉行中より被仰聞候十二月十三日御切紙出候事
右御書附同廿七日諸士一同御呼出之上拜見被仰付之
一、家高壹萬九千貳百八軒
右之内
五拾九宇 堂社寺院
内
四拾八宇 燒失流失半潰共
拾壹宇 大破小破共
百九軒
内御役家御分一家御巳屋御番所共燒失流失
三拾壹軒 潰半潰相成分
十九軒御藏御船家御殿共右同斷
十六軒御殿並御船家御分一家御用家共大破小破に相成分
廿貳軒 御番所御巳家共同斷
廿壹軒諸御藏大破汐入其餘傷共
〆
壹萬四千五百五拾貳軒 居り家
内
貳千三拾四件 燒失
貳千六百三拾壹軒 流失
貳千五百四拾四軒 潰込
三千四百八拾壹軒 半潰
三千六百廿五軒 大破小破
貳百三拾七軒 汐入
四千貳百貳拾壹軒
内
八百三軒 藏納屋燒失
四百六軒 右同流失
七百九拾五軒藏納屋長屋之類潰半潰
千四拾壹軒 土藏納屋雪隱共同斷
六百七拾貳軒土藏長屋納屋部屋湯屋廐共大小傷
汐入等ニ相成分
四百七軒雪隱潰半潰流失右同大傷汐入共
貳百六拾七軒 □□
内
三拾七軒 居り家流失
百四拾八軒 右同潰半潰
三拾軒 納屋流失
廿七軒 右同潰半潰
貳軒 居り家傷
貳拾三軒右同納屋雪隱潰半潰共
〆
右之外家數不相知ニ付左之通
一、幡多御郡奉行以下巳屋々々潰半潰其餘傷ト有
一、甲浦赤塗小早御船家虫(ママ)餘程流失ト有
一、御船奉行御用家長屋共傷ト有
一、人家亡所同樣 入野鄕本村鄕浦
一、在所大半流失 田野口村
一、人家破損
一、半潰數家不知 下田浦
一、堂社不殘潰 右浦
一、人家不殘流失 伊田浦
一、浦中不殘流失 下ノ茅浦
八軒殘堂社不殘潰
〆
一、人數四百六拾九人 死人並行末不知怪我人
内
貳百八拾六人
百拾九人 死人
内 八拾人 男
八拾七人 女
内六拾三人男女共
廿四人 (本ノマヽ)男女不知
百八人 行衛不知
四拾壹人 男
内六拾五人 女
貳人 男女不知
七拾五人 過人
廿人 男
内四拾人 女
拾五人 男女不知
一、牛馬三拾三疋 死失行衛不知共
一、地三千百五拾七石五斗八升七合本田新田芝損田並汐入ニ相成分
外ニ
過半汐入ト有 潮江村
田地汐入ト有 下知村
不殘汐入ト有 高須村
一、堤五百三拾八ケ所 御普請所傷ニ相成場所
一、五ケ所ト六間 新田圍並堤溝臺同斷
一、橋三拾八ケ所燒失破損流失共
一、井流拾艘
内三艘 流失
七艘 破損傷共
一、筧壹艘 流失
一、山崩貳拾五ケ所 御留山地下山共
一、御臺場六ケ所 流失傷共
一、御備筒拾挺 流失
一、御船拾九艘 流失燒失破損傷共
外甲浦本ノマヽ船不殘傷ト有同所赤塗小早御船倉不明建
余程流失御船傷未相分ト有
一、船貳百六拾一艘 市艇より小船迄流失破損ニ相成分
一、網五拾九張 諸網流失相成分
一、口銀廿八貫三百六拾六匁 御國産方之分流失
役手銀金貳百兩 燒失
一、籾千百五拾貳石
内
三百七拾貳石 流失
七百八拾石斗 燒失
一、米四千六百廿六石貳斗 燒失
一、糯米百五拾貳石 同
一、大豆九百三石貳斗 同
一、菜種百三拾石 同
一、燈油貳百丁 同
一、麥四百七拾四石貳斗 同
一、小豆七拾壹石六斗 同
一、黑大豆壹石八斗 同
一、そば三石六斗 同
一、豌豆三石貳斗 同
一、空大豆四石 同
一、胡麻四斗 同
一、五形花種壹石 同
一、甘蔗千三百把 流失
一、同壹万六千八百 流失
右之外小畑之品々數々有之候へ共惣縮ニ書入不申
嘉永七寅十一月五日大變縮也
覺
此度之就大變死人怪我人幷燒失家潰家大破等異條之
有無差出ヲ以來ル廿七日限根居方役場へ可被届出候
以上
十一月廿四日 御勘定方
(注、以下は地震に関係なきを以て省略)