[未校訂]二十一 安政の津波
嘉永七年(一八五四)十一月四日午前九時ごろ宝永地
震とほぼ同じ規模の大地震があり、震源地は遠州灘で、
マグニチュード八・四であった(三重県災害史)。これよ
り前から地震のきざしがあった事が記録されている甲
賀、中村兵助家の文書に「嘉永七年(一八五四)、六月十
四日夜七ツ時(午後四時)はじめて、殊の外大地震致し、
皆々驚き候処、国々大いたみ、勢州四日市、伊賀上野、
南都其外所々人家とも大潰、死人多有之、然所夫より折々
少々づつ地震ゆり出し、人々驚入候」と記している。