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項目 内容
ID J3000814
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔阿児町史〕○三重県阿児町史編纂委員会編H12・3・15 阿児町発行
本文
[未校訂]二十一 安政の津波
 嘉永七年(一八五四)十一月四日午前九時ごろ宝永地
震とほぼ同じ規模の大地震があり、震源地は遠州灘で、
マグニチュード八・四であった(三重県災害史)。これよ
り前から地震のきざしがあった事が記録されている甲
賀、中村兵助家の文書に「嘉永七年(一八五四)、六月十
四日夜七ツ時(午後四時)はじめて、殊の外大地震致し、
皆々驚き候処、国々大いたみ、勢州四日市、伊賀上野、
南都其外所々人家とも大潰、死人多有之、然所夫より折々
少々づつ地震ゆり出し、人々驚入候」と記している。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 547
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 阿児【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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