[未校訂]一長良門人かの京へ越候春ニ昨十四日の事也日逢候て承候を聞候中々
委細ニハ難書候 一初めのゟ二度めのか強候よし四半
時位間か有なしニかの雷の如く大筒のことくニ響く丹波
か強とも申候へハ同国の山焼なとハなくやとも□□さ
れと大坂ハ□かろくと承候尤筋も有物となくかゝる大
ゆりニ候へ共飯焚ニはいつたりも仕候よし所(ママ、カ)なた候ハ尚
委細ニハ聞となく写ニ書上候けが人七百人と申事ニ候へ
共追(近カ)々また申出候御築地ハかく別念入候事哉ひじり入
候所ハあれ共崩候所はなく候由堂上方のハ大方崩候て
内よく見え候故色々の物ニて覆ひ又幕張候所も有之御門
ハ多くたふれ候由大津辺少々つゝのあたりみえ候草津
ハ何事なく長良門弟石山ニて泊り候か此所ハ少しも無別
條候由ニ候扨いやな事ハ十一日出の状ニ未とんとしつま
りハ不致と申越候由嘸きみわろく不安心の事と大ニ相
察候何卒早く安穏の事祈申候
(後欠)
(前欠)
御畄守居妻ハ御そ(カ)すの長良妹おみうニて松山ゟなから
へ来候書状見申候夫ゟも委(ママ)舗ハ右妻女疫症ニて候故六
月未ゟ長良の弟子上京仕候て五日ニ京を発足ニて其日
も少々づゝゆり申よし御寺の院主ハ本山へ越為五日
夕に(カ)帰寺仕候其咄しニハ三日乃午時頃やみ候と被申候
由ニ候へ共洞彦弟子の咄しハ如右ニて御屋敷近所ゟ助
けてくれと申してかけ込候後ニハうらの塀倒候て多勢
入候事玄関ハ九尺ニ二間とやら建出しのやうにしたの
と承候在か崩れ候をしらぬ位の事ニてみな〳〵竹林へ
はいり候明る日竹伐拂五七疂敷位ニ坐取候て在候集り
し家いかに潰れ候も不多候蔵ハ大方損じ候由堂上方御
門等も崩れ候か有之由ゆりハ二度めのか強候扨震動
度々有之候近所て大筒打如くニ候事何分心の安まる隙
なくいやな事ニて三日夜亭主ハ坐敷て寢んとてねかけ
て見候所中々以すごくて為之寢不申候竹林にゐてハ毛
虫かはい込やら百足ニさゝれ候やらの由扨々いやな事
ニ候竹林へ不入とも戸板ニても敷通(カ)ニてよき事ニ候岸か
土手か又小くても山のすそニ候てかく別平地か人のは
まる程も破候事ハ無之事ニ察候何れ迯出候位の事ニ候
てすあしニて大けが可仕候なとおやしきの前とやらニ
て二人洗濯仕為候一人ハ其まゝ居候一人ハ内へ行つも
りか迯候て材木ニうたれはて候由委き事ハ不知候へ共
先即死ハ六七人怪我人は多しと申候との事ニて京の事
御地の方委敷聞え候半なれ共あら〳〵右申入候御変事
ハ御無用
藤野□平ゟ
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最早相止候哉と色々取沙汰仕候餘り珍事ニ御座候故
私(アルイハ、礼カ)文を以乍序申上候尊公御地ハ如何格別之儀ハ無御座
候哉御あんじ申上候早々世直し〳〵洩□〳〵書之
(カ)七月二日暮六ツ時認尚々此手紙大道の真中ニて震い
〳〵御注進申上候
如各折々おかしき事書て誠ニ口輕の人とみえ候右便ハ
注文の筆を差下し候事ニて心労中ニても旦那方を大事ニ
仕候所感心仕候
一彦長良門人良噂ニハ大津辺ハよほとかろく候哉いかにそ(カ)す所も
見え不申候少し宛の事と申為候松山妻動じて定ていけ
まひと存候処あしき方ニもなきと承候