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項目 内容
ID J3000020
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸國〕
書名 〔大王町史〕○三重県大王町史編さん委員会編H6・8・1 大王町発行
本文
[未校訂]三災害
地震と津波
 地震国といわれているわが国では、古
代より各地で大地震が発生し、多大の被
害をうけている。明応七年(一四九八)八月二五日、マ
グニチュード八・六の巨大地震、それにともなう大津波
が房総半島から紀伊半島にいたる海岸部を襲い、太平洋
沿岸は大被害をうけた。伊勢・志摩地方も流失家屋一千
戸、溺死者一万人の被害を受けたと『内宮子良館記』は
伝えている。
 船越村の古記録『船越奇談』によると「千人塚由来記」
が記述されており、それによると「文禄三年(一五九四)
夏、大津波により全戸四五軒すべて流失し、村民の大半
が死亡した。このため字塚越に千人塚を建立した」と記
している。しかし、文禄四年には地震・津波の記録はな
く、明応七年の誤記のように思われる。また、船越村は
中世の一時期「[大津場村|おおつ ばむら]」と称したと隣村片田村の修験
寺院『三蔵寺世代相伝記』に見えるから、明応七年の大
津波により村は全壊し村名を変えて再出発したことがう
かがえる。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 13
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 大王【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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