[未校訂]三災害
地震と津波
地震国といわれているわが国では、古
代より各地で大地震が発生し、多大の被
害をうけている。明応七年(一四九八)八月二五日、マ
グニチュード八・六の巨大地震、それにともなう大津波
が房総半島から紀伊半島にいたる海岸部を襲い、太平洋
沿岸は大被害をうけた。伊勢・志摩地方も流失家屋一千
戸、溺死者一万人の被害を受けたと『内宮子良館記』は
伝えている。
船越村の古記録『船越奇談』によると「千人塚由来記」
が記述されており、それによると「文禄三年(一五九四)
夏、大津波により全戸四五軒すべて流失し、村民の大半
が死亡した。このため字塚越に千人塚を建立した」と記
している。しかし、文禄四年には地震・津波の記録はな
く、明応七年の誤記のように思われる。また、船越村は
中世の一時期「[大津場村|おおつ ばむら]」と称したと隣村片田村の修験
寺院『三蔵寺世代相伝記』に見えるから、明応七年の大
津波により村は全壊し村名を変えて再出発したことがう
かがえる。