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項目 内容
ID J2901090
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四~七日(一八五四・一二・二三~二六)〔五畿七道〕
書名 〔土佐史談199号〕H7・8・31土佐史談会発行
本文
[未校訂](十市琴平神社玉垣に刻まれた地震の奉納文について)間城 龍男著
 過日、高知市民図書館所蔵の「三災録」の中から、「余、
此の柏井氏難業録を取り見るに、三災録をものしたる稲
毛白頭翁の借り写しになんあれば、見ん人の参考にもと
こを巻末に加え仕りぬ。余、琴平社にもふつ、其の節一
の記事を謄写せしものあり、参考にもとこも付記したり」
として、十市琴平神社玉垣に刻まれた地震の奉納文を記
した紙片を見出した。
 この紙片に記された玉垣の解読文は、所々に誤のある
不完全なものではあるが、現在の玉垣では、風化の進行
と欠落によって、解読のできなくなっている四カ所の文
字を補うことができた。そこで、この解読文を参考にし
て書き改めた全文を次に紹介する。
 「嘉永の初風雨序を失ふ事打続をりしが、同七甲寅十
一月四日巳刻地震せしか共、させる大震にもあらざるに
潮狂ひて漁の妨と成ぬるを、海人等何のこゝろなく翌五
日に至る。
 天晴雲なきに申の上刻大震して、地裂山崩、内にして
は棟にしかれ外にしては石にうたれ、所によりては回禄
起りて人家宝蔵まで烏有となる、をしむべし宝財名器一
時に灰と成りしことを、親を尋ね子を求る声山野にみち
みちて、三峡の悲猿を聞くよりも猶はらわたをたてり、
酉の下刻に至り[坤|ヒツジサル]の方より海嘯うづまき来り、其勢に当
れる所いかなる柱礎と言共たまりえず、忽平砂となり、
田園は沈没して[黿革|ゲンベツ]の栖となる。
 鳴呼恐べし天地も数ありてや、此歳宝永の変より一百
四十八年に当れり。諸国にもかゝる震災ありとて、十二
月に安政と目出度改元あらせらる。其後三四年の間日夜
震数をしらざれども海潮の氾濫はふたゝびなかりき。
 此変に当て甲は燼となり乙は魚と成るべきを、此御神
の恩頼を得て免るゝ事を報じ奉らむと、此玉垣をものし、
且、此のよしを鏤て、後世覚悟の一助共なさばやとの、
人々の志願を需に応じて、七十五老漁橘重得謹記。(花押)
安政五戊午歳三月吉辰」
 最後の「安政五戊午歳三月吉辰」は、この地震記緑の
奉納日と思われるが、本殿に向って最右端の玉垣に大き
な文字で刻まれていることを考慮すれば、安政地震によ
って破壊をされた玉垣全体の再建日と考える方がよいの
かもしれない。
 なお、この三災録の巻末に柏井氏難業録は綴じられて
いる、しかし、この玉垣の地震記録を記した紙片は何故
か綴じられず挿入されたままである。
注 傍線は玉垣の欠落や風化により解読のできなかった
所である。
 文中の、[黿革|ゲンベツ]はおおすっぽん。「数」は定め(運命・
決まり)の意味である。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 527
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村 高知【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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