[未校訂]文政十三年大地震のあらまし庚寅年
六月十八日夕立ののち日照つゝきニて暑さ甚しく七月朔日祈雨の御
願□然るニ七月二日雲少し曇り暑さ甚しく今日未刻
斗ニ也地大ニ震ふ事ゆり暫し永し皆人々門に遁れ出つか
くて此辺ハ文政二年六月十二日の地震よりハ少し静かニ
て当宮石燈籠なと倒れしハなし然るニ京伏見ハいと強く
地[震|フル]しと(ママ)其沙汰まちまちなり斯て翌四日夜母君も□伏見ニ
在しか同道にて妹すへ夜交々駕籠ニて来れり□ニていき
なり事を同ふニ地震殊ニ甚しく候ふも終日地震ぬ余り恐
しくて若此ちいさき政吉時ニ三才ものゝ身を誤つるもやと其婿
のいつれは来りぬといへり其翌日予京伏見ニ参りなんと
つとめて起出しにやかて夕立強く降りぬ此夕立ハ六月十
八日後よりふらて祈雨の雨なり此雨をを(ママ)止を待て
日闌(ママ、開カ)て出立ぬ先小倉堤ニいたる堤悉くさけ五寸斗口開た
り中ニはゆり返しと見へて五寸斗下りし処もあり去
年切(カ)処の新堤ハ五尺斗ゆり込ミぬ扨伏見ハ倒れたる家多
かりさあらぬもゆりゆり□しハ大方也けり我兄弟なる尾
張屋の家も少し木方傾ふきぬ夫より京にいたる京ハ伏見
より猶甚しきさまとか或ハ倒れ或ハ傾し家数多ニて怪我
人も多かりとそ扨今日□日京と在るニ十度斗も乾方ニて
とろ〳〵と鳴りて家ゆさ〳〵とゆりぬかの二日の大地震
よりかゝる事絶さりき尚今爰ニは又も大地震共又ハ京中
悉土にすなと土御門家の占問行ひし処の告也なとさま
〳〵浮説有しか(カ)は京中の男女[戦|フルヒ]ひ怖き一昨夜昨夜も家
に在もの一人もなく皆竪横の大路に疂しき其上に寝伏せ
り老若ハ大寺の広庭又四條川原或ハ四方の御土井藪中へ
連れ居る在て騒しき事限りなし御所の築地も所々破損し
ぬ二条御城北の御門倒れ北西の二方ハ石垣崩れて高塀悉
く倒れ城あ□□さま也未土蔵三ケ所倒而とそ町中の土蔵或ハ築塀一ケ所ハ
全きハなし中ニも伏見海道ニハ凡三十軒斗も一斉ニ家倒れ
て死人有て野辺おくりすとて泣入し□ハ目も当られぬ有
様也予今日五日夜伏見おはり屋にてゆる見世の床几ニて
ふしぬ今□ハ地震五六度此所ニても[今上|キンシヤウ]北山修学院の
山荘へ御迁幸ありなと浮説さま〳〵也予終日寝むらす未
明より立かへる今日当社ニて昨日膏雨の御礼として御湯
献し七町惣代出勤セらる扨今日六日も地震止さりしニや
当村ニてハわ(カ)か午時ニ地震少し震りぬ扨□の二日大地震
後京ニてはしはしゆりしなと我村ニてハいと希□也又
四日暁夕方前京伏見ニてハ雲竒しく赤く黒(カ)かりしか忽ニ
消て雨ふり出ぬいかなる天変地妖にやと皆人恐れあへり
右七月六日ニしるす
今上三日より聖護院宮へ行幸なりしといふハ実説ニて是ハ
火起るといふ事を恐れませ給へる也とそ又西本願寺境内
の人の咄ニ本願寺本堂の大庭ニ祖師の木像宝輦ニ乘を大庭
ニ居奉り門主并御裏方庭上ニ疂打敷幕二重ニ張て屋根ハ仮
ニ油紙ニて覆ひて其中ニましまし一家中残らす火事♠束ニ
て列を正し其四方を警固す町家地内の町人ハ皆上下ニて
寺内ニ相詰火消方ハ門の内外を相守り数万の灯燈ともし
たて夜も昼の如くニてさもゆか(カ)しくその昔天正の頃の石
山軍記もさもやと覚ゆるさま也といへり扨是ハ二日のよ
り三日四日と三夜か間といふ七月八日の京の説ニ今日も
地震ふ事少しなれと猶やます火手誤り二ケ所有西丘桂里
焼る依之洛中弥戦ひ怖る又其虚ニ乗して強盗□(カ)賊起る京
中の町人過半ハ火♠束ニて往来す
又七月晦日夜京麸屋町四条角霍屋といへる菓子屋より火
出て北風強く四条麸屋丁下ル処一丁焼ル四条通も麸屋丁
の南脇之廿(カ)軒程ツヽ焼たり
十日夜の暁雨降出て地震甚し夫より毎日震し□とも十五
日ニハさすかニ中元ニ也地震なかりき今日我妹すへ尾張屋
ニ帰ル十五日朝少雨下ル十六日曇微雨十七日曇微雨十八
日朝より雨降り追々強くなり四ツ時より八ツ時過まて凡
三時はかり強雨車軸を流す雷も鳴ルかことく宇治川大洪水ニて白
川我新□土蔵流れ宇治橋ニ懸ル依之宇治橋落て流る槇嶋
堤切ル小倉堤四ケ所切ル木津川ハ水上不降有けん水一丈
出ルと云リ
十九日微雨今夜(カ)地震ス 廿日朝地震甚し雨降ル午時夕立
雷鳴て地震と一時也今日雷鳴甚し京は清水寺の辺りかの
十八日の雨甚しく伏見海道五条下ル辺七条辺皆水家内の
床の上ニ至ル依之かの地震ニて□遣し家倒るる多し
七月二日大地震ニつき五条天神の石の鳥居倒れて人死す
北野南門の石鳥居折なから建り是竒也北山槇尾高雄山堂
塔悉く弊るト云り東本願寺普請小屋迠□の処倒れて工匠
御雇方五人斗圧死す
(注、大雨関係記事中略、又内侍所鳴動の事省略)
大地震録といへる小本の印本出来せり其書を是ニ写す
頃ハ文政十三庚寅年七月二日昼七ツ時京都大地震ニて始
めトロ〳〵とゆり出し其跡ひきつゝきてゆり暫く不止家
居倒るゝ音すさましく皆思ひかけなむ事ニて地ニ伏し疂ニ
伏し柱をいたき垣を杖ニす其身全む事を祈る中ニ老人の
大道ニ出せよ教(カ)るを聞伝へ各板を並へ疂をしき大道へ出
ける扨古家古土蔵倒るゝハ云も更也神社仏閣の鳥居石灯
篭築地高塀の倒るゝ事夥し譬へ丈夫の土蔵たりともひゝ
きの入らぬハなし棚の諸道具落損し云々其物音天地ニ響
き土埃り宙を曇らす其中ニ只トロ〳〵とゆりたへす心も
そゝろニ魂消へ肝冷すニて二日夜大道ニて明さんとするニ
夜気うたん事を思ひ板或ハ莚油紙を覆ひて屋根ニす云々
老人の来て禁咒の歌とて
ゆるくともよもやぬけしの 要石 鹿嶋の神の あら
ん限りハ
と皆書写し戸口柱ニ張ニて三日の夜も門ニて明しぬ四日明
六ツ時雨はら〳〵と降出し一天雲□となり一めん黄色
になり□色(カ)恐しき事限りなし云々六日七日八日も曇りて
雨ふらす八日夜八ツ時七ツ時大分強震り来る是ハ七日七
夜のはてなりと咒ひ出ると九日も尚やます誠ニ前代未聞
の事ニて只神を祈り仏を信し身をつゝしむより他事なし
雷ニあたまたゝかれ 地震ニて 尻つめるなり 天の
おしかり
以下畧す
大地震録下抜書狂歌
庚寅七月二日事従申上刻地震剛最初寄集唱世直狼狽
桑原至線香町屋家ヘ蔵壁直ニ落寺社塀垪垣柱ト共ニ僵ル
婆母黄声テ念佛申祖父青顔祈神♠ル百姓離鍬皆入藪千
頭捨舟独上ル塘天地震動無仕様上下騒動暮十方
扨十日もトロ〳〵時々鳴動す十一日暮雨降り出し夜七ツ
時剛ゆる十二日四五度ニ而十三日土蔵のいたミたるまゝ
に雨もりきて時となく土すり落て其音誠ニすさましく夜
ハ分て♠ける家傾きて往来御用心の張札所々ニ□□ 十
五日少し雨降り出すトロ〳〵鳴動猶やます然れとも最早
地震なれて仇口も交れり十六日打つゝき雨降る過し大変
より□すり下り番匠手伝等中々数ケ所しつらひ行とゝか
す雨洩りて難義の人多し云々 十七日雨強くふる八ツ時
晴間有之同暮過西稲光り有十八日朝より大雨頻りニふり
雷地震打交りて云々忽川々洪水ニて川添の家ハ水多く這入
て大騒動云々爰ニ音羽川とて洛東清水寺音羽瀧の流れ真ニ
多く水出て伏見街道鞘屋丁間屋丁近大洪水人家の床の上
ニいたる其辺大家の油屋地ニいけし油壺ニ水入て油流れ出
す其辺油臭き事得もいえす水去て其油近辺の井中へ流れ
入困りしとかや此時清水寺の廊下倒る云々
天下うこかぬ国と 治りて うるおひめくるあら□□
の土
京中町破損入用帳凡一町ニツキ二十貫ツヽニして
凡銀八万六千貫目是を金ニ直し尤六十五匁の積ニて
凡金百三十二万三千〇七十六両三歩弐朱三拾壱卜弐リ
五も
地震ニて 損した家ハあけたまゝ 戸御りぬ御代と
世直りやせん
九月廿六日地震三度