[未校訂]三六七 天候異変・地震及び加計市米相場の上昇
(天保元)
(天保元)一当六月(ママ)二日申ノ刻より京都大地震ンニ而、禁庭御築地等
不残倒レ、其外仙洞御所、御摂家以下右同断、二条御城
御天主御矢倉、大手御門等皆崩レ、屋(八)坂之とう・東寺之
堂・三拾三間堂皆崩レ、大仏殿大築地ハ少々残リ其外皆崩
レ、其外小寺神杜・町家共大損ンし崩レ、尤御本山ハ損
ンし不申よし、扨々夥敷事筆紙ニ難尽事共ニ候、此時死失
之人民凡三万弐千人余与申候、然ル処漸々同月六日相し
つまる由、乍併冬ニ到迄昼夜三度位小まき地震ゆり申候
趣、此辺上京之ものより承ル、右百年之内ニハ稀レ成ル大
事与申事ニ候也