[未校訂] また、記録的な地震に二回見舞われていることが知れ
る。文政二年(一八一九)六月十二日八ツ時(午前二時
ごろ)に地震が起こり、本陣二軒をはじめ宿内の家屋は
大きな被害を受け、平野町より東三町では家屋は残らず
大荒れとなった。各所で地面に二~三寸(約六~九セン
チメートル)の亀裂が入り、深い所では一丈二、三寸(三、
四メートル)もあり、水が湧き出るところもあった。こ
のとき膳所藩から検見の役人が派遣され、極難渋の者へ
の手当てとして米一~四斗ずつ(一八~七二リットル)
が支給されている。