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項目 内容
ID J2800088
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1662/06/16
和暦 寛文二年五月一日
綱文 寛文二年五月一日(一六六二・六・一六)〔近畿北部及周辺〕
書名 〔今津町史 第一巻 古代・中世〕今津町史編集委員会H9・3・31 今津町発行
本文
[未校訂](前略)
 今津町では「大じしんにて山々くずれて死すひと多し」
(「大江保記録写」『日置神社文書』)とあり、湖西各地で
甚大な被害をもたらしたようである。「分部伊賀守家中、
家共悉く[♠|くず]る、[漸|ようやく]五軒残る、町家三百軒程之内拾軒残る、
領内の民家[都|すべ]て千二十軒余♠れ、男女二十人死す」(『玉
露叢』)と湖岸付近の[大溝|おおみぞ]城下(高島町)でも大きな被害
が発生しており、『高島郡誌』にも、湖北の田地がゆりこ
んで低下し、河川の流れが緩やかになったという湖岸で
発生した地変状況が書かれている。
 このときに沈下した部分を示したとみられる絵図が[北|きと]
[仰|げ]に残されている。これは「御地頭様へ差上候絵図下書」
(『北仰区有文書』)と記された古絵図で、湖岸から三〇
〇メートルの部分が書き直されている(写6省略)。この
部分が地震によって水没した耕作の範囲を示しているも
のと考えられ、標高八五・五メートルまで湖水が到達し
たことを物語っている。同じ地震による耕地や遺跡など
の水没は本町から新旭・安曇川・高島・志賀の各町の湖
岸域に広く認められる。ここでは標高八二・五メートル
から八五・五までの範囲が水没したと考えられ、土地の
沈下量は最大で約三メートルにも達している。この地震
では、饗庭野断層群や比良山地東側の活断層が活動した
とみられている。
 したがって、これらの活断層は三三五年前の地震で歪
みを解消しており、当面の危険度は低い。しかし花折断
層や酒波断層は最近の活動期が分かっておらず、また湖
底にも活断層が存在することから、直下型地震の発生が
懸念される。湖岸近辺の池沼跡の干拓地や盛土地など軟
弱な地盤からなるところでは、他より振動が大きくなる
から、日頃より十分な対策をとる必要がある。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 64
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 今津【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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