Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2800085
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1662/06/16
和暦 寛文二年五月一日
綱文 寛文二年五月一日(一六六二・六・一六)〔近畿北部及周辺〕
書名 〔南船木史〕○滋賀県安曇川町南船木区史編集(刊行)委員会H11・3・1南船木区
本文
[未校訂]○寛文二年(一六六二)五月
震源地は葛川谷町居で、町居は山崩れによって民家が
埋没し、村民はことごとくなくなったといいます。大
溝では九五%の家が潰れ、領内の民家千二十余軒倒壊、
死者は二十人に及びました。小野惣左右衛門代官所管
内の志賀、高島一円四千八百石の内、田畑八十五町余
りがゆり込み在家五百七十軒が倒壊。湖北田地もゆり
こんで低下し、山崩れも多く河川の流れがゆるくなっ
た(高島郡誌)とありますが、南船木の被害状況は明
らかではありません。高島町の永田沖にあった三矢千
軒は、この時一夜で湖底に沈んだといわれ、針江沖の
湖中や今津町北御浜内湖も、この時沈下又は拡大した
と考えられます。(※船木千軒、藤江千軒については第
一章で述べました)
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 62
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 安曇川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

検索時間: 0.001秒