[未校訂]○明治五年(一八七二)
(前略)
被害区域は、石見、那賀、邇摩、安濃、邑智、及び、
簸川の各郡の順に、その強度が弱くなり、簸川郡では土
地の隆起陷没が発生した。その他、遙堪村では地面が三
丈五尺陷没し、荒木村では逆に隆起した。園村の中部で
は一町三反歩の池が出現した。久村では、高さ二丈の丘
陵が陷没し、周囲の地面が隆起した。
灘分村では、塩分を含んだ濁水が噴出し、その高さ三
丈に達した箇所もあった。また源光寺の本堂が倒壊し、
坊守母子が死亡される悲しい記録が残されている。なお
余震は一箇月にわたり続いた大地震であった。