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項目 内容
ID J2700471
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕
書名 〔灘分郷土誌〕灘分郷土誌編集委員会H3・12・15 平田市灘分公民館発行
本文
[未校訂]○明治五年(一八七二)
(前略)
 被害区域は、石見、那賀、邇摩、安濃、邑智、及び、
簸川の各郡の順に、その強度が弱くなり、簸川郡では土
地の隆起陷没が発生した。その他、遙堪村では地面が三
丈五尺陷没し、荒木村では逆に隆起した。園村の中部で
は一町三反歩の池が出現した。久村では、高さ二丈の丘
陵が陷没し、周囲の地面が隆起した。
 灘分村では、塩分を含んだ濁水が噴出し、その高さ三
丈に達した箇所もあった。また源光寺の本堂が倒壊し、
坊守母子が死亡される悲しい記録が残されている。なお
余震は一箇月にわたり続いた大地震であった。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 887
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 平田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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