[未校訂]耕地損害と後遺症
一方、農事関係をみると、各地で山崩れ、
地割などを生じたから、田畑の被害も大
きかった。九月跡市組各村から提出した「田方損地ニ付
御願書」は、
當春稀代之震災ニ付、村々共田畑大ニ破損仕、其後田
方者涌水これ無く、依而潰敷荒地植付後、水施仕付荒
共豫メ検査御届申上候處、植付成り難キ場所者取敢え
ず御見分成し下し置かれ有難き仕合ニ存じ奉り候、然
る處仕付荒ニ而種取茂覚束無き所数数御座候得共、當
秋御検見之節御用捨御願申上可き心得ニ御座候處、
今般(明治四年)辛未定免ヲ以御取立ニ相成候段仰せ出され畏り奉
候。且取実これ無き旱損田方ニ御貢米相償い難き儀者
勿論、差向當今ゟ来夏麦作取入之頃迄露命取続茂覚束
無く、彼是難渋ニ臨ミ候得者、御大切之耕地ヲ捨置方
々江出稼仕候程茂斗リ難きニ付、村々役人共ニおゐて茂
殆慷歎仕り候間、前件御願御憐察成し下し置かれ、震
災ニ付水路相弛ミ余儀無く天水ヲ待受一応植付仕り候
處、其後水弛旱損難渋場所少なからず、是等者類外之
御仁恵垂れられ何卒御見分之上御用捨仰せ付けられ候
ハヽ一同有難き仕合ニ存じ奉候、これに依り恐を顧み
ず連印ヲ以只管歎願奉リ候已上
壬(明治五年)申九月
那賀郡千田村戸長近重歓一郎
代印本明村戸長千代延與一郎
本明村戸長千代延與一郎
那賀郡
御役所
和木村田原村戸長千金村小川八郎
上有福村戸長千代延保郎治
南川上村田ノ村戸長平床村山本善太郎
跡市村戸長沢津健次郎
(跡市組割元「記録」)
と、なんとか植付けができた所も漏水などのため旱害が
多く、「種取茂覚束無き所」もだんだん出ている。それに
今年の年貢は辛未(明治四年)の定免をもって取り立てる
旨が申渡されたが、「取実これ無き旱損田方ニ御貢米償い
難」いばかりでなく、来夏の麦取入れまでの「露命取続
茂覚束無」い状態である。このまま放置しておけば耕地
を捨てて出稼にでも出なければならないほど農村は難渋
していると訴え、実態を「御見分之上御用捨仰せ付け」
られるよう連名で願い出たのであった。連続の凶作に加
えてこのたびの前代未聞の大震災は、直接の被害だけで
なく多くの後遺症を残したのであった。