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項目 内容
ID J2700361
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔香美の石碑〕○高知県S51・3・10 高知県香美郡文化財調査委員会連絡協議会発行者
本文
[未校訂]安政地震の記念碑
野市町上岡神社
 この記念碑は野市町上岡同神社の境内にあり、高さ
一・七㍍、幅二一㌢、厚さ一二㌢の水成岩である。
 碑には『嘉永七年十一月五日大地震此処よりしづみ
浦々の人家流失すること夥しく人いたみ上岡山の西の川
原まで浪来ることを記』の碑文がきざまれている。
 これは嘉永七年十一月四日に関東地方を中心に大地震
があり、これに起因する津波が一日おくれて土佐湾沿岸
を襲い、被害が甚大であったことが推察される。
 この地震から二十三日あとの十一月二十七日を以っ
て、安政と改元されていることからぞくに土佐において
は『安政の大地震』といったと考えられる。
 また、この上岡神社の東南方約百㍍の所に『雑魚田』
という『ホノギ』の土地があり、当部落の古老は安政大
地震の時津波がおしよせ、この付近の田に『雑魚』がい
たので、この名が残っている。
 この記念碑は明治十五年午八月、上岡の嶋内武金氏が
出資してこれを建てたもので、建立にあたっては氏子中
が総出で手伝ったといわれている。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 691
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村 赤岡【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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