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項目 内容
ID J2700356
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔室戸市史 上巻〕室戸市史編集委員会H1・3・1 室戸市発行
本文
[未校訂](注、既出の部分は除く)
 地震の際、八王子宮の境内の石灯籠と[狛|こま]犬が倒れ、御
影石の鳥居も一本折れ、中の通りぬきも折れていたとい
う。
 室戸岬では、十一月五日は空よく晴れて、暖かい小春
日和であった(室戸地方では、いずこも同じように上天気
であった)。七ツ時(午後四時ごろ)地震が起き、あとに大
潮が入り、人々は山の高地へ逃れた。津呂庄屋多田五郎
左衛門信量の手記によると、年寄役四手井重之丞の土蔵
へ、山から大石が転がってきて、壁が大破したとあり、
地盤隆起のために津呂港が浅くなり、船の出入りが困難
になった。
 佐喜浜では、波が川伝いに押し寄せて、小山の土手、
波切不動の辺までに至った、中里の「木の宮」の大杉が
大揺れに揺れて、大地をたたくように見え、津波の引い
たあとには、この杉の上に、太刀魚が引っかかっていた、
と清岡秀璞の手記にある。
 安政の大地震の前(四二年前)に、土佐では文化九年(一
八一二)に相当大きな地震があったので、安政の地震まで
には破壊箇所や家屋も相当に修築され、経験も新しかっ
たこととて、大地震ではあったが、被害は比較的に少な
かったことと思われる。
 安政元年は[甲寅|きのえとら]の年であるので、この地震は俗に「寅
の大荒れ」ともいわれている。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 685
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村 室戸【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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