[未校訂](注、既出の部分は除く)
地震の際、八王子宮の境内の石灯籠と[狛|こま]犬が倒れ、御
影石の鳥居も一本折れ、中の通りぬきも折れていたとい
う。
室戸岬では、十一月五日は空よく晴れて、暖かい小春
日和であった(室戸地方では、いずこも同じように上天気
であった)。七ツ時(午後四時ごろ)地震が起き、あとに大
潮が入り、人々は山の高地へ逃れた。津呂庄屋多田五郎
左衛門信量の手記によると、年寄役四手井重之丞の土蔵
へ、山から大石が転がってきて、壁が大破したとあり、
地盤隆起のために津呂港が浅くなり、船の出入りが困難
になった。
佐喜浜では、波が川伝いに押し寄せて、小山の土手、
波切不動の辺までに至った、中里の「木の宮」の大杉が
大揺れに揺れて、大地をたたくように見え、津波の引い
たあとには、この杉の上に、太刀魚が引っかかっていた、
と清岡秀璞の手記にある。
安政の大地震の前(四二年前)に、土佐では文化九年(一
八一二)に相当大きな地震があったので、安政の地震まで
には破壊箇所や家屋も相当に修築され、経験も新しかっ
たこととて、大地震ではあったが、被害は比較的に少な
かったことと思われる。
安政元年は[甲寅|きのえとら]の年であるので、この地震は俗に「寅
の大荒れ」ともいわれている。