[未校訂]三二 嘉永七年、地震津波始末書
安政二年
嘉永七年(一八四五)一一月四日の大地震津波の船越村
の情勢を後世に残すために記録したものである。
船越村は表海と裏海にはさまれた低地に人家が密集
し、津波に最も弱い村であるが、この年は潮流の加減で
被害は最少限度にくい止めたことは「神仏の加護ならん」
と記している。
このほか、余震の模様、この年の地震津波の災害、黒
船騒動なども記述し、当時の世情についても言及してい
る。
(船越、中村某蔵)
表紙
嘉永七甲寅十一月四日地震津波之始末書
(注、「新収」続補遺別巻六七九頁下6のあとに入れる)
同年九月廿八日暮六ツ時また〳〵地震一時斗もゆりつれ
ども、両海とも少々汐満こし有しのミにて格別の事もな
し 是ゟ毎日〳〵地震いたしけるが十月二日の夜五ツ時
頃地震ゆり 是ハ少きゆりなれども一時の餘もゆりしゆ
へ人々怪敷思ひけるが 是江戸大地震にて七八分通も家
倒れ 其上所々ゟ出火にて三分通も焼失怪我人数不知
別紙に有之間見るべし
中村 伊十郎記す