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項目 内容
ID J2700143
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信・上越〕
書名 〔坂城町誌 中巻 歴史編(一)〕S56・4坂城町誌刊行会編・発行
本文
[未校訂]7 地 震
弘化四年(一八四七)三月二四日夜、信州全体および越
後高田地方に迄およぶ、いわゆる善光寺地震の被害は松
代藩で幕府へ報告した記録によれば、
圧死流死者 二五八五人
怪我人 二二六二人
牛馬死 二六七疋
居家潰 九三三七軒
同半潰 二一八二軒
におよんだというが、坂城地方での被害の記録はあまり
見えない。
「弘化四年五月、長沼富竹外二ケ村 地震火災ニ付明
俵出被仰付小前触方請取方控」帳によれば、各個人で五
俵位宛差出し、北日名では五一七俵、苅屋原では二一八
俵というように集め、坂木村で総計三〇二三俵となった。
それは力石村の船場へ届け、船便で送ったようである。
これは善光寺地震のため堰止られた岩倉山の欠潰に備え
て、川中島地方の水防に供出したものであろう。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 298
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 坂城【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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