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項目 内容
ID J2601952
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1964/06/16
和暦 昭和三十九年六月十六日
綱文 昭和三十九年六月十六日(一九六四)〔新潟・山形県〕
書名 〔なかまち史〕余目町仲町町内会H1・12・30
本文
[未校訂]十八、新潟地震
 一九六四年(昭和三十九年)六月十六日、昼下がりの午
後一時三分に襲った新潟地震で余目も突然グラグラと激
しいゆれがきて、建物や立木が大揺れに揺れた。堰の水
は「バシャバシャ」と波を立てた。家にいた人たちはお
られず外へ飛び出した。外を歩いていた人は歩くことは
できないのでその場にすわりこんだ。
 当時の模様について二組の工藤久子は「当時、仲町を
通ずる余目―松山線の拡張に伴う道路の側溝工事を町の
失業対策事業でやっていたので沢山の人が働いていた。
私が地震の激しい揺れに驚いて理髪をやめて飛び出した
ところ、この人達が喜三郎さんの〝こぢけ〟(堆肥の積
んだ肥塚の略称、二組佐藤幸夫宅との境にあった)の上
に逃げていくので、私も夢中で〝こぢけ〟に走り上で過
ごした。なかには市兵エさんの〝こぢけ〟(二組押切宅
の南側角)に逃げた人達もいた」と思い出を語っている。
 昼間の地震だったのでおそろしい火事の発生はなかっ
たが商店の酒びん、陶器類等はメチャクチャに割れたと
ころもあった。仲町の山科商店(一組)でも商品のガラス
や陶器の品が陳列棚から落ちて被害甚大だった。農地で
は、字小島の水田の一部が地下水の噴出で稲が砂に埋る
被害もあった。
 余目町の場合、庄内地方でも比較的被害が少ないもの
と見られていたが、調査の結果、家屋、農地、商品など
総額四千一八二万余円に達した。町議会に報告された内
容をみると次の様であった。
 (余目町の主な被害状況)
 住宅半壊七棟、同屋根破損三〇棟、同壁破損二六八棟、
農地流失、陥没、隆起、亀裂、二千平方㍍、農道破損三
千一六一㍍、教育施設破損一二棟、水道破裂五カ所、商
品一〇三戸、三八九万七千円、一般道路亀裂千九六〇㍍。
 庄内地方全般では鶴岡市京田幼稚園の全壊で児童三名
が死亡、十三名が重軽傷を負った。酒田市立第三中では、
生徒がグランドに生じた深さ二㍍の亀裂にはさまれ即死
といういたましい事故もあった。
 なお、この年十月十日から東京の国立競技場で、世界
九十四カ国の参加で第十八回オリンピック大会が開かれ
た。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 458
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山形
市区町村 余目【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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