[未校訂]十八、新潟地震
一九六四年(昭和三十九年)六月十六日、昼下がりの午
後一時三分に襲った新潟地震で余目も突然グラグラと激
しいゆれがきて、建物や立木が大揺れに揺れた。堰の水
は「バシャバシャ」と波を立てた。家にいた人たちはお
られず外へ飛び出した。外を歩いていた人は歩くことは
できないのでその場にすわりこんだ。
当時の模様について二組の工藤久子は「当時、仲町を
通ずる余目―松山線の拡張に伴う道路の側溝工事を町の
失業対策事業でやっていたので沢山の人が働いていた。
私が地震の激しい揺れに驚いて理髪をやめて飛び出した
ところ、この人達が喜三郎さんの〝こぢけ〟(堆肥の積
んだ肥塚の略称、二組佐藤幸夫宅との境にあった)の上
に逃げていくので、私も夢中で〝こぢけ〟に走り上で過
ごした。なかには市兵エさんの〝こぢけ〟(二組押切宅
の南側角)に逃げた人達もいた」と思い出を語っている。
昼間の地震だったのでおそろしい火事の発生はなかっ
たが商店の酒びん、陶器類等はメチャクチャに割れたと
ころもあった。仲町の山科商店(一組)でも商品のガラス
や陶器の品が陳列棚から落ちて被害甚大だった。農地で
は、字小島の水田の一部が地下水の噴出で稲が砂に埋る
被害もあった。
余目町の場合、庄内地方でも比較的被害が少ないもの
と見られていたが、調査の結果、家屋、農地、商品など
総額四千一八二万余円に達した。町議会に報告された内
容をみると次の様であった。
(余目町の主な被害状況)
住宅半壊七棟、同屋根破損三〇棟、同壁破損二六八棟、
農地流失、陥没、隆起、亀裂、二千平方㍍、農道破損三
千一六一㍍、教育施設破損一二棟、水道破裂五カ所、商
品一〇三戸、三八九万七千円、一般道路亀裂千九六〇㍍。
庄内地方全般では鶴岡市京田幼稚園の全壊で児童三名
が死亡、十三名が重軽傷を負った。酒田市立第三中では、
生徒がグランドに生じた深さ二㍍の亀裂にはさまれ即死
といういたましい事故もあった。
なお、この年十月十日から東京の国立競技場で、世界
九十四カ国の参加で第十八回オリンピック大会が開かれ
た。