[未校訂]一、明治二七年大地震(通称酒田大地震又は両羽大地震)
明治二七年、酒田沖に発生した大地震は、庄内の近世
近代を通じて、震度被害共に最大のものであった。これ
については諸種の記録が残されているが、ここでは震災
直後余目村で取りまとめた。〝大震災状況記〟及び余目
村から山形測候所に提出した報告書及〝東田川郡震災実
記〟を中心として、その概要を摘記する。
1、発生時の状況
一〇月二二日午後五時四〇分頃、突然雷鳴の如き大音
響と共に、猛烈な振動の襲来、家屋崩壊多数、その何れ
もが北に向って倒壊、傾斜せる家屋も又、同方向に傾く。
尚、最初の震動に引きつづき、大砲連発の如き音を聞く
と共に大風の吹くが如き音響も伴い、震動時間は十分余
に亘ると思われた。その後五分、十分、二十分位を隔て
て砲声の如き音と共に地動を感じた。地震発生と共に大
地には無数の亀裂が走り、地中より泥水を噴出し、噴水
の如く丈余にわたるものも見られた。
2、被害の状況
この地震の状況は未曾有のものであり、東田川郡の場
合死亡一八二名、負傷二二一名を数えた。現余目町に含
まれる村々の被害は次の通りである。
震災調(明治二七年一〇月二六日)
村名 総戸数 全壊戸数 半壊戸数 焼失戸数 死亡人員 負傷人員
八栄里 一九五 三三 未詳 一 四 未詳 (二)
大和 四六七 六二 一八 〇 五 未詳
常万 二三三 六二 一五〇 〇 七 未詳
余目 六五五 一六四 一二五 七 二二 三四
栄 二九九 七四 二三 七 一五 一五
十六合 三八二 三〇 四 三 六 四
計 二三三一 四五九 三二〇 一八 五九 未詳
3、各地の状況
大地震の突然の襲来は各地に深刻な被害を与えた。そ
の中で特に惨禍の著しいものを挙げて見る。
①大字余目字町川村弥五治郎宅
川村家は湯屋(銭湯)を営んでいた。地震襲来と共に家
屋は倒壊し、たまたま入浴中の男女は裸のまま辛うじて
路上に脱出し、辛くも逃れることを得た。川村家の倒壊
と共に洋燈(ランプ)より火を発し、火はまたたく間に隣
家に燃え移り、火勢猛烈、如何なる大火にも及ぶ如く見
受けられたが、消防の必死の消火作業により、延焼七戸
で阻止することを得たのは幸いであった。
②大字千河原高橋寅蔵宅
高橋寅蔵宅は母・妻・子三名の計六名で生活してい
た。地震襲来と共に、同家は瞬時にして崩壊し、避難す
ることは全く不可能であった。加えて壊家より火を発し、
家屋は炎上、家族は全員下敷きとなったまま焼死した。
翌晩、焼跡において死体を検出したが、漸く五名の遺体
を収容し、更に一名を捜索したところ、倒壊した家屋の
下を走る亀裂の中に一名の焼死体があり、第二子と認め
られたという。この高橋家の被災は、最も悲惨なものと
して、世人の涙をさそった。余目における火災の発生は、
前記川村家と延焼した五戸、及びこの千河原の高橋家と
計七戸であった。
③他の被害
余目村で特に被害の大きかった部落は千河原(全壊四
八)槙島(同三〇)、提興屋(一〇)、平岡(一〇)等で、特
に最上川沿いの部落が多い。
他村では、栄村の全壊七四戸、死亡七、常万村の全壊
六二、死亡七の被害を蒙っている。大字の被害としては、
余目新田の六七戸中二七戸全壊、西袋の二九戸中一一戸
全壊、家根合全壊二二戸、焼失六戸が目立っている。特
に西袋では流泉寺が倒壊し、住職が死亡している。
④田畑の被害状況
地震発生と共に大地には大きな亀裂が走り、泥水青砂
の噴出も各所に見られ、田畑が甚大な被害を蒙った。こ
れには関係の資料が乏しく、余目村の場合のみを記すこ
とにする。
被害概数
田反別 弐拾三町歩。
畑原野反別 三百三拾壱町弐反七畝歩。
宅地反別 弐町五畝歩。
堤防 九百五拾四間。
道路 千弐百五拾間。