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項目 内容
ID J2600807
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1804/07/10
和暦 文化元年六月四日
綱文 文化元年六月四日(一八〇四・七・一〇)〔羽前・羽後〕
書名 〔米沢市史 資料篇3近世史料2〕米沢市史編さん委員会編S59・3・30 米沢市長発行
本文
[未校訂](石田名助記録)○米沢東町(現東一丁目)
地震 坂(酒)田出役高橋辰之助ゟ漆山出役藤崎紋蔵為知夫ゟ米沢角
傳蔵へ注進候趣大意
一、六月四日夜四時頃ゟ俄に大地震坂田中過半震崩或ハ
潰れ無難之蔵とてハ壱軒も無之、人家も数百軒震潰所
ニより数拾軒将碁倒ニ相成候所も有之由、此節外へ戸
扉ニ乗出居候由、軒か地へ付候様石瓦落て大地割レ家
蔵之崩候音わり〳〵と四方へ響き、老若のさけふ声難
尽筆紙候由
一、天気ハ先月廿七日ゟ毎日〳〵小雨曇ニ而何様大変も可
有之与諸人不安心ニ居候由
一、当地ニ而別而痛候所ハ舟場丁并本町一丁目上之通り、大
地震割レ水湧出大川之ことく押候場所諸々ニ有之よし
一、一時斗之内押返し〳〵大震
一、怪我人も有之潰死、或ハ大地に入今以不相止候由、
割レへ入死候も有之、亦ハ溺死も有之よし
一、近浜嶋〳〵ニ而ハ地震之不発前ゟ沖を見渡し候処、大
山之如く速波押参候様ニ相見得、津波ニも候哉与何レ
も坂田に逃参候而山へ登り候処、地震ニ相成大波遠沖
へ引き候よし
一、上通片町与申処家並ニ潰候由、火事出来此節加勢致
候者も無之百軒余り焼自然与留候よし
一、御領米蔵も潰候由ニ候得共、米ハ痛ニも無之相聞候よ

一、右之通前代未聞之大変ニ付注進いたし候由、六月五
日七時迄書状相認候よし、其内ニも震候故筆をとゝめ
漸々相認候趣ニ候
一、坂田一躰蜘の巣のことく割レ候所ゟ三四尺も口明き
水湧かき田のことく相成通路不相叶場所も最之、舟場
丁ハ街道二ツに割レ水湧大川之ことく両側後口之方へ
皆以ひゝき、尤通路不相叶
一、上通肴町ハ六七拾軒も有候処皆以潰れ纔かに六軒残、
本町通りハ多分之潰ハ無之無難之家と申ても壁落或ハめ
り込壱軒も無難ハ無之よし
一、外浜通り之容子未相知候得共、地震之盛諸々ニ而火
之手相見候 定テ当地同然与存候よし
右之通申来候由ニ付六月十五日写置申候 此節象潟甘
満寺之景地も崩れ入江ハ埋レ候よし承候 米沢ニ而も余
程之地震ニ而有之事
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 198
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山形
市区町村 米沢【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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