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項目 内容
ID J2600808
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1804/07/10
和暦 文化元年六月四日
綱文 文化元年六月四日(一八〇四・七・一〇)〔羽前・羽後〕
書名 〔松山町史 上巻〕○山形県S62・3・31 松山町編・発行
本文
[未校訂] これから三年後の(一八〇四)文化元年には、出羽国の日本海岸
一帯で大地震があった。六月四日夜から五日昼夜共に大
ゆれとなり、六日になってやっと弱くなった。「松山も
四日夜より五日、六日其後も追々よる。酒田よりは弱し。
人家潰家一切なし」ということで、松山ではさしたる被
害はなかったが、酒田では藩の米蔵や新井田役所が潰れ、
鵜渡川原では地割れして泥を噴き出し、宮浦では全戸が
潰れ死人も多くあった。加茂では海水が沖にひき、船が
港に転び、人々は水のひいた海に出て、残されて跳ねて
いる魚をつかまえたという。
 この時、松山藩では酒田の藩米蔵が潰れたので、早速
人足を出してその回復をはかっている。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 199
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山形
市区町村 松山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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