[未校訂](表紙)
「嘉永七甲寅十一月四日地震津浪之始末書
先祖(中村)伊十郎之書也
山際金 印 」
嘉永七年甲寅十一月四日此日一天静にて風も吹ず雲もなく
未申の方より白き雲虹のごとく丑寅さして靉靆たり 辰の
下刻とおもふ頃地震ゆり出し 初ハ格別にもなかりしが
次第〳〵に強くゆり 瓦落石垣くづれ壁割砕け土煙は家毎
に出て さながら朧夜の如く凡半時斗も過て地震静になり
しゆへ 銘々火の用心のため我家〳〵に入けるが 間もな
く前浜の汐満来りし躰 扨こそ高汐満来るやらんと浜辺に
迯居る人〳〵南ハ寺の上行者山又は八幡山へ登り北ハ堂の
上浅間山経墓山江迯登り前濱ゟ裏海さして迯けるが前濱の
汐一旦ハ土手際迠満込しが 暫時に引返し三島山近辺迠底
瀬郡(顕)れたり 是いにしへより伝へいふ 津浪なりと 物に
心得たる人〳〵津浪〳〵といふ声に驚き親ハ子を捨子ハ親
から放れ 老若の差別なく我先へと南北両山へ迯たりしハ
是昼午の上刻の頃なるべし其汐立浪とハことかハリ海底
より涌出るがごとく ゆご嶋御祓島も見へざるなり 汐増
前浜へ満たりしが 北の愛神乃前浜へ押込大田の堤切れて
子易の神前の田まで汐込入 夫より南の方さして押廻り中
村伊右衛門持分の泊り畑の石垣崩れ仮墓所近所の家々三四
尺も汐込入前濱手ハ土手際迠打越たる斗也 尤舘の世古ゟ
南ハ汐二度めに満込し時ハ家の庭まで込入たり 此時に裏
海の汐も満来るよし 裏辺の人々油断いたし 家の内より
喰物或は着類など高き山へ持運び一度ハ持行間も有しが二
度来りしものハうら海の汐に溺れたり うら海の汐と表海
の汐とハ南の用水井戸の辺にて両汐行合たり剛気のものは
游ぎ渡り弱きもの又ハ老人ハ家の棟にかけ上るもあり 樹
木にのぼりまたハ家の囲に取縋りたるもあり 南北の両山
よりハ是を見てあせれども 助ける事不相叶 身命危急に
迠り親をよび子を尋ね妻ハ夫を 夫ハ妻をと呼尋ね泣さけ
ぶ声 山の崩るゝごとく也 うら海満込し汐凡壱丈餘も家々
へ込入たり 村の中道迠込入しが 直様引返したり 是表
海二度め満込たりしと同刻なり 汐引返すを待之者汐に溺
れたる人〳〵南北両山へかけあがり漸助命いたしたり 是
全うら海の汐ゆへ汐暫弱きゆへ怪我もなく助りしものなり
表海ならバ汐勢強事矢のごとく中々助命おもいもよらず
心得べき事なり 折節寒気の事老若ともこらへ死すべき
躰なりしを火を焚またハ肌にてあたゝめ助命いたしたり
半濡のもの弐拾五人皆濡にて命危ふきもの十弐人游ぎ渡り
しもの五人なり 両海とも夫より度々満テハありすれども
家にハさわりもなし 夕方になり両海とも静にハなりつれ
ども 汐ハ赤土を解し如くなりしかれども 地震ハ時々ゆ
りけるゆへ誰有家の内江這入ものなく 其日の入相迠ハ喰
者着類山〳〵へ持運び 其夜ハ野宿いたし翌五日 高き山
〳〵へ小屋をしつらい 火を焼飯を焚て露命をぞ繫ぎける
五日の夜また〳〵地震強くゆり汐も少々満込しが格別の事
もなく直に引返したり 兎角地震たへずゆりけるゆへ 家
住居いたしがたく 山小屋に住居し 昼夜のわかちなく命
にも死すへき命のゆふにおもふて諸事手につかず 只々恐
しき斗ニて日を暮し気強きものハ十日も過我家へ帰りつれ
ども 心弱きものハ日の中ハ家にいれども夜分ハ山小屋へ
寝臥たり 村中過半ハ十一月中ハ山小屋住居いたし 十二
月朔日を吉日といたし 村中残りなく我家〳〵へ立帰りた
れども山小屋がなつかしく家居ゟ恐ろしき心持して夜ハ臥
ども寝いらず 昼ハたゞもの世間の恐敷噺のミいたし日を
送りける并うら海汐込入しハ壱丈餘なりしハ □ひ新田乃
堤崩れ 是へ満込し汐夥敷 凡弐丈斗とも見へたり また
前海の汐おふ田の堤切れ是へ満込しハ中々難斗其返しの汐
南とまりの畑石垣くづれ 是より池の中へ込入し汐言語に
難述 是村の災難をのがれしハ全く此三ケ所の堤石垣崩れ
しゆへなりと人々申ける 他村とハ違ひ船越村ハ両海の村
といゝ殊ニ屋敷ハ格別卑き地面ゆへ 此度ハ家居壱軒もな
く流失いたしへけんと他村の人〳〵申居しに 流失の難を
遁れしハ 神佛の加護ならんと他村の人〳〵不審におもひ
うらやまぬハなかりしとぞ流失の村々□□の人〳〵別紙を
見るべし
此度の地震津浪何国が大痛と聞糺すに
第一阿波の国家数五百軒の在所流失いたし其跡ハ泥海ニ
相成候噂 其餘凡六万石斗田所海ニなりし由
第二紀州尾鷲浦のこらず流失溺死人数不知其外浦々流失
夥敷
第三摂州大坂川口より津浪ニて大船小船数(ムシ)艘町場迠流れ
入り橋にて家を打潰され怪我人即死ハ凡三千人旅人
ハ数不知
第四志州と相聞へたり
此年の六月十四日明八つ過の頃地震強くゆり半時斗も過て
納りぬ 瓦少々づゝ落し家も有つれども汐のうれいなか
りしが 是ハ勢州四日市大地震にて家倒れ 其上出火にて
怪我人八百人と聞ゆ 是より折々地震少々づゝゆりたれど
も何国ニも格別の事もなかりしに 十一月四日ニ相成前文
之次第恐るべし〳〵 今年十二月二日安政元年与御改号ニ
相成 明れバ安政二夘年正月元日御座村矢摺瀬ゟ二里斗も
沖江異国船渡来国中騒動ニ及しが 全ハ商内船にて直ニ紀
州田曽浦へ入津いたし 紀州より長崎へ御引渡ニ相成候
(後略)