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項目 内容
ID J2402519
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1792/05/21
和暦 寛政四年四月一日
綱文 寛政四年四月一日(一七九二・五・二一)〔島原・肥後〕
書名 〔甘木市史資料 近世編 第四集〕○甘木甘木市史編纂委員会編S59・10・31
本文
[未校訂](記録抜書)
寛政四子年肥前嶋原大地震ニ付、夫より凶作と相
成、地震之次第書いたし置也
○同子年三月朔日ゟ地震初り、昼夜ニ軽く重くニかけ、
凡二・三十度位、五月初頃迄昼夜不止、此地震をこり
たりしハ、嶋原御領普賢山焼出し、大石・小石稠敷吹
上ケ震働より地震となるよし風説有之、隣国ハ不及申、
上方まても地震同様なる由、四月朔日同所前山吹破り、
沖中江築込津波となり、城下町并在々、肥後国天草ニ
懸ケ家数損不知、死人三ケ国ニて三万八千人、旅人数
不知、地船・旅船是又破損数不知、嶋原殿様江ハ三里
脇庄屋宅江御立除ニ而御入被遊候由、御家中ハおもひ
〳〵ニ立退、尤御家中ハ御別条無之由、古今之珍敷事
ニ有之候、秋月ゟ御使者吉村五郎右衛門様、御進物蠟
燭千挺之由
(記 録 (二))
一当年子三月朔日ゟ地震初り、昼夜ニ軽重ニ懸凡二・三十
度位、五月初頃迄日夜不止、此地震おこした(ママ)りハ、嶋
原御領普賢山焼出、大石・小石稠敷吹上ケ候動揺震動より
地震与なる由風説、隣国ハ不及申、上方迄も地震〻〻同様
なる由、四月朔日同所前山吹破り、沖中ニ築込津波ニ
なり、城下町并在、肥後ノ国天草ニ懸、家数損候数不
知、死人三国ニて三万八千人、旅人数不知、地舟・旅
船是又破損数不知、嶋原殿様江ハ三里在庄屋宅江御入
被成、家中衆ハ思ひ〳〵ニ立退、尤家中ハ別条無之由、
古今之珍事、此方様ゟ為御見廻、御使者吉村五郎右衛
門様、尤御進物蠟燭千挺
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 400
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福岡
市区町村 甘木【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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