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項目 内容
ID J2401928
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1766/03/08
和暦 明和三年一月二十八日
綱文 明和三年正月二十八日(一七六六・三・八)〔津軽・陸奥〕
書名 〔新撰陸奥国誌第三巻〕○青森「みちのく双書 第十七集」S40・3・25 青森県文化財保護協会竜淵寺
本文
[未校訂]鐘楼 万仏堂と本堂の間にありて一丈四面なり
鐘 丈三尺四寸口径二尺三寸銘あり左の如し
大鐘再々鋳之文当寺四世祖州和尚当境薙草以降諸堂祖
列憫楼鐘空乎二茲有帰依之檀信了貞居士元禄十丁丑年
七月発願而備巨鐘一口歴年二十七才雖然明和年中値大
地之震災痛損之響不至遠依焉十七世普説和尚代勧誘遠
近之檀信以自他之助力再鋳焉銘発杵聚群生応声入化城
四参相接処導恵霊根明密々少林端至今五葉栄縁之悟道
去響及当来維宏持玄中説代
文政六癸未年八月
加之不説和尚之従禅忠桂多迄到二十四歳亦痛損依而先
師発願不空又再々鋳焉
維時弘化三丙午年閏五月願主竜淵寺現住廿世恕説代
冶工弘前 桜庭善左衛門
大善寺境内千四百七十三坪本村の南首より九丁北にあり浄土
宗弘前貞昌寺の末山無量山と号し元和元乙卯年乗海と云
ふ僧梅田村に草創せしか二代善廓か時慶安二己丑年六月
当処に遷す明和三丙戌年正月二十八日大地震せし時焼失
し再建ならすして貞昌寺々中徳増寺に移住し二十七代道
寿か時庫裡を立文久二壬戌年九月二十八日夜又焼失せり
今の堂宇は十年以前の荘厳なりと云ふ道寿か時立し庫裡
の焼跡より地蔵の像を穿り得て毎年五月二十四日祭札あ
りて遠邇の老若群集せしか今は絶たりと云ふこの地蔵を
好児地蔵と云ふ旧腹籠りと云ことにして祀りし故なるへ
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 319
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 青森
市区町村 青森【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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