[未校訂]安政大地震の生実藩江戸屋敷における死者書上げ
安政二年(一八五五)一〇月二日に起った江戸の大地震では、
死者一〇万人ともいわれる。この時、江戸の竜の口にあった
生実藩上屋敷は火災にあい多くの人が死んだが、その時の死
者書上げである。中間九人、足軽六人、家中二九名が数えら
れる。死亡した中間・足軽の出身村も記されている。
(平山町859)永野秀夫家文書
一五〇 (地震潰死人) 安政二年
安政二卯年十月二日
地震潰死人御中間
上(下)サ国惣領村出
役割
庄左衛門
野田村出 仁兵衛
塩田村出 六蔵
草苅村出 常吉
中国出 豊後
出雲国出 新四良
大巌寺出 藤八
有吉村出 弥太郎
古泉村出 市五郎
御足軽死人
小金沢村出 拾五郎
浜野村出 喜八
生実村出 政右衛門
村田村出 三十郎
上(下)サ国八日市場出 喜太郎
南生実村出 甚太郎
御家中
高後多仲
小児女
比々羅木登
小児女
長田徳右衛門
秋葉平右衛門
同 女房
同忰 林佐
同 姉娘
同三男子之吉
京僧新作の(ママ)
同 小児女
京僧亨助妻
同 小児男
桑名弥右衛門妻
同 養母
同 小児女
布施幸左衛門
同 女房
同忰釜次郎
同次男七之助
同四(ママ)男清次郎
同四(ママ)男 小児
観 鉞次郎
同 忰
水口作右衛門
関野六太郎
髪結松五郎
同 妻
増井七左衛門
市原国次郎の
小児女