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項目 内容
ID J2100182
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔松本市史 上〕S8・10・5 松本市役所編・発行
本文
[未校訂]地震 弘化四年丁未三月廿四日夜四ツ時、川中島を中心
とせる大地震あり。善光寺町平押しに建家潰れ、引続く火
災にて全市焼失、生憎開帳中にて諸国参詣の男女宿泊繁昌
の折柄、町人旅人過半圧死す。
(中略)
此時松本も可なりの強震にて、連夜戸外に露宿す、土蔵塀の
くづれたるありたれど、北信に比し物の数ならず出川には多少の潰家あり
但し松本領内より善光寺へ参詣し、其儘圧死したる者九十八
人あり。領内としては川手生坂及小谷渓谷にて隤家流家死者
若干あり。此等へは藩より夫々救恤あり。尚潴水中新町方面
へ籾六十俵川舟にて差送りたり。又善光寺道者の生還せる
者、乞喰同様にて来り過ぐる者多く、其為め安原先きに小屋
を掛け、有志の寄附にて三町より役人出張、握飯草鞋及び行
先十里に付百文の割にて路用を給し、夕方以後に至れば指宿
して無賃宿泊を遂げしめたり。
右地震以後四月迄日夜小震止まず。其後回数漸次遠くなりし
も小震尚継続し、或人の記録に依れば翌申年迄毎月二三回の
小震あり、翌々酉年の二月迄にて漸く止みたりとあり。尚其
に依れば申年九月松本平降雪ありたる事、同月上田領塩尻辺
夥しく小蝶の舞出たる事、十月初松本清水辺螢飛びし事、冬
に至り気候温く、翌酉の春に到り始めて氷結ぶと見ゆ。此等
地震関係の有無、将来の資料にもと念の為め記し置く。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1480
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 松本【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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