[未校訂](注、一般的記述は他出の文書にもとづいているので省略し、表のみをのせる)
第1表 善光寺町及び近村被害状況
町村名
領主
a
戸数
b
焼失・潰
れ戸数
b
―
a
×100
c
人口
d
死者
d
―
c
×100
善光寺町
八町
権堂村
西後町
問御所村
妻科村
(新田・石堂
を含む)
善光寺
幕府
松代藩
椎谷藩
松代藩
307
(35)
(175)
311
2,527
274
27
45
83
小計
2,956
(99)
89
77
26
26
(7,700)
1,163
(600)
1,195
1,403
外に旅人
1,029
89
1
25
17
8
0
2
近村
善光寺
腰村
箱清水村
栗田村
松代藩
善光寺
幕府
(120)
(55)
23
15
0
14
28
0
(600)
(300)
558
23
15
5
4
5
1
松代町
飯山町
松代藩
飯山藩
(939)
213
926
(98)
(9,000)
(4,000)
32
389
3
10
高田町
高田藩
(2,400)
477
(50)
(17,000)
5
註1 この表はむし倉日記・長野市史等により作成した。
2 ()を附したのは,確実な数の不明なものである。一応の便のため概数を推定記入
したものである。
3 各領地ごとに調査の基準が異なっている。
4 善光寺町の被害は,「俗話の種」によれば,寺内138人・町家2,481(男1,010女1,471)・
旅人2,000余(以上5月10日調査)であった。
第2表 善光寺大地震領地別被害(水害を含まず)
所領別
石高
焼失・全
潰家屋
死者
100石に
つき死者
備考
善光寺領
松代藩領
飯山藩領
須坂藩領
中野代官所支配分
松代藩預領
松本藩領
万石
0.1
10.0
2.0
1.0
5.8
0.7
6.0
2,527
9,550
2,989
114
2,977
309
396
2,432
2,695
1,511
17
凡800
102
61
243.0
2.7
7.6
0.17
1.4
4.4
0.1
旅人を含む
内200余は善光
寺にての死者
善光寺にての死
者を含む
註 「むし倉日記」により作成す。
第3表 西山部の被害
村名
家数
全潰
半潰
人口
死者
被害状況
茂菅
○鑢
○桜
泉平
上屋
広頼
入山
×栃原
志垣
追通
上祖山
下祖山
小鍋
○山田中
宮野尾
○坪根
○倉並
○五十平
○橋詰
○岩草
○念仏寺
○梅木
○地京原
○伊折
和佐尾
×椿峰
瀬戸川
古山
上野
○花尾
竹生
×小禰山
×立屋(椿峰の内)
○中条
○専納
○長井
×大安寺
○笹平
41
15
50
25
130
100
200
220
60
―
112
―
150
100
100
61
41
68
160
150
130
110
130
170
80
130
―
100
―
82
130
200
42
130
36
110
―
79
0
13
22
6
20
33
(内15焼失)
40
(
焼失あり
)
8
6
0
3
13
33
52
33
37
33
30
61
105
98
56
(ほぼ全滅)
32
23
8
―
19
―
48
33
7
―
87
27
8
6
70
1
―
―
―
20
15
―
15
8
―
22
―
6
10
15
16
6
6
6
30
30
30
10
7
―
―
―
―
―
―
40
―
22
6
―
―
3
200
70
280
140
―
500
900
1,000
360
―
520
―
900
500
500
380
220
340
800
700
700
600
700
500
390
―
―
510
―
430
680
1,000
200
600
―
―
―
390
1
1
10
3
8
?
20
3
1
0
4
―
18
50
10
10
60
10
40
5
30
70
80
90
7
―
―
10
―
40
13
1
―
44
―
20
―
25
山抜
山抜,皆潰同様
山抜
山抜
枝村グンダリは全村傷寒
モス原耕地大抜け
被害少し
変災により善光寺より紙買入
の商人来ず,困窮
13軒は抜落,家族全滅
大抜,耕地半ば流失
飯綱山抜落
山上より一時に大岩等落下
地われ多し
上組皆潰,水止る
臥雲院寺地大穴の如く抜落
虫倉山崩れにて一円荒野とな
る
50人大岩の下敷となり,死骸
不明
被害少し
地すべり多し,1町もすべり
てそのまま住める家あり
明松寺押埋
軽し
軽し
耕地大半抜落
軽し
註1 「むし倉日記」により作成す。
2 ○印は特に被害の多かったことを示す。
3 ×印は被害の軽かったことを示す。
第4表 犀川洪水による被害
所領別
流失・押
埋・潰家
(土蔵等を含まず)
水死
耕地被害
松代藩
松代藩預所
須坂藩
飯山藩
軒
2,025
195
29
0
人
22
23
6
0
石
38,840
(3,000)
2,092
第5表 被害者に対する手当金
所領別
本潰
半潰
死人
備考
善光寺
松代藩
飯山藩
須坂藩
中野代官所
椎谷藩
両分朱
0
030
010
232
100
500
0
010
001
200
220
0
塔婆一枚
ずつ下附
100
1人につき米5升給与
1軒につき米1俵貸与
2分2朱・2分・2朱
等もあり。
水人に1両または2分
宿駅は手当多し
註1 本潰は焼失・流失を含む。
2 「むし倉日記」により作成す。
松代藩に及ぼした影響
松代藩の財政がこの震災によってかなり大きな打撃をうけた
であろうことは、常識的に推測しうる。いま吉永昭氏が松代藩
の根本史料を駆使してまとめられた論文「藩財政についての
基礎的研究―特に信州松代藩の場合を中心として 」(史学研究五五・五七)
により、その影響をみてゆくことにする。
まず同藩の人口総数は、弘化二年一二六、一八三、三年一二七、四六〇、嘉永二年一二五、二〇一(弘化四・嘉永元調査
欠)で、弘化三年から嘉永二年の間の人口減少は地震のため
と思われ、殊に山方の人口が一、六一九減で、里方の六四〇
減より多く、山方に被害の多かったことを示している(前掲
論文第三表)。
また、弘化四年の同藩収納籾(これは金納分も全部籾に換算
したもので、松代藩本租総領である。藩士知行所分をも含む。)
を見ると、この年の収入がかなり減少していることがわか
る。この年の籾相場は三十一俵であるから、この収入はおよ
そ三四、五〇〇両に当る。これに対し、被害者への手当や、
炊出し等の費用(前述)はおよそ一六、〇〇〇両である。ただ
し災害復旧費等がどれほど支出されたか、私はまだ調べてい
ない。松代藩には余慶方という特別会計があるが、このうち
江戸入用金への支出がこの年に特に少かったのは、この変災
と関係があるらしく、また、江戸入用金総額が例年より切つめ
られているのもそれと関係があると思われる(同第九表)。ま
た、松代藩は領民から借入金がある場合、その領民に災難が
あるとその借入金を返済する習慣があったらしいから、この
度もできる限りの金を村方へ返済したと思われるが、その点
もまだ調べてなくて不明である。
松代藩収納籾
収納籾
弘化1
2
3
4
嘉永1
2
俵
136,051
122,962
144,828
114,673
131,818
129,881
註 吉永氏論文第四表に
より製作