[未校訂]安政の大地震
安政大変から百五十年を経た孝明天皇の安政元年申寅十一月
五日また大地震があつた。この前日四日は朝五つ刻(午前八
時)小地震があつたが人々は気にもとめず、須崎富士が浜の
エビス祭大相撲(火鎮祭大相撲の前身)見物に出かけた。
その頃から潮が狂い河川に逆流しはじめ、七ツ頃(午後四時
ごろ)から夜にかけて弱震数回あり、不安の中に一夜があけ
五日となつた。
この日、空は晴れわたり風も吹かず人々は安心していたが、
十一月とは思われない暑さだつた。午後四時ごろ突如大地震
が起り、地面は数尺も裂けて中から潮を吹き上げ、土砂を飛
ばし、人家は見る見る倒れ、山崩れで死ぬるもの続出し、そ
のうえ一時間後には山のような大津浪が来襲し人々は取るも
のもとりあえず、命からがら近くの山へ逃げ登つた。
泣くもの、わめくもの、父母を呼ぶ声子をさがす親のさけび
など凄惨な状況となつた。渦をまいておそう津浪は引いては
満ち、満ちては引きして前後七、八回にもわたり一進一退を
つづけ、そのたびごとに家を流し船をさらつてその有様は、
形容する言葉もないほどだつた。海から遠い吾桑でさえ相当
の被害を出し多くの家が流失した。
吾井郷竹崎の下方に土崎町(多ノ郷)の人家が流れてきて、
東西に並んでいた、
後日土崎の中平家を訪ねたところ長押(ナゲシ)に藻屑がか
かつていたという。松ガ瀬の上の方には須崎の船が流れつい
ていたし、赤崎の下には約百貫もの大ウツボが波にのこさ
れ、その腐敗臭は鼻をついたといわれる。