[未校訂]一同年十一月二日些雨降其中にていつくともしれす遠音の雷
の音哉且は震動哉尓(ママ)には不分二ツ三ツ聞ゆ是迄は時節に違
肌熱し又同三日日和に成大北風吹俄に寒さ強く成水氷
昔宝永四年亥十月四日の大変には山に楊梅ミノリ又躑躅
花咲又大暑の如しとの云伝有
此度大変寒強
又同四日辰刻地震常生の地震より少し人驚く尤長陶り此日
午刻岸本浦三番四番の網代地曳網弐挺綱十二三斗を以網曳
居所右弐挺の網三度斗沖の方へ引被取是不思義成哉弐挺の
網へ鯨抔沖廻し有之哉抔と云て相笑なから網を首尾能挽揚
たり但登汐早し是迄何の気も不附風と心附たるは夜須浜黒
隈と云磯三四月の大汐日よりも満干強く右磯の根見えたり
沈たりする事時の間に幾度と云数不知満干繁く然時けふの
汐満干何時哉と詮義する所四日成はサシ五ツ六歩ヒキ八ツ
六歩成共其汐にかまわす右の次第なりされとも人は不驚何
れの人も只不思議〳〵と云のみにて誰れ壱人も驚く者更に
なし是程目に物の見えたる一日の汐[曲|クル]いにも不慮不調法至
極後々も思ひやられたり
一同五日津浪入但此日晴天静成日和にて始終肌寒し申の下刻
に至り殊の外成大地震山の崩れる様に鳴響渡りて陶る木♠(ママ)
群蝶の如く何も見分け不出来良々(やや)長き間動此時大地一面動
く中にも□□に入且は三尺位イ程も赤子の[躍子|ヲドリ]の様に踊揚
る所諸方に有地震に随イ其所ゟ砂吹揚る又所により濤入時
水吹上る此岸本枝村新在家新町の在所草(カ)家は左程の事もな
く瓦葺は家蔵雪隠に至迄家毎不残家の棟蔵の棟壁抔崩れ爰
彼家倒れ黒煙掩事何えも難譬夫れ火の用心と云間もなく[眕|シン]中浪入来り孰れの人も周章鞅掌取物も取不敢立出る時も時
哉黄昏に転つまろびつ数万人窺所は王子八丁一筋通追欠
〳〵跡先き続く人音は秋の田に居浮虚子の如く又其中にも
とゝよかゝよ童子よ児よと泣韻は皐月の頃に夕暮の蚊の啼
如くのありさま扨又王子村へ到り散乱したる家内を揃へ思
ひ〳〵の宿構へ所縁有者は其所縁の方知人有者は其知人の
方よるへなき身の悲き者は此寒中も不厭に爰彼の竹藪借朽
木の枝木葉抔拾集て四五日も又は五六日も野宿する夫より
我家へ帰りたれとも地震しんどふ不斜十二月十三日頃ゟ諸
方家毎に仮り籠家建翌安政弐卯ノ二月中旬の頃迄我家て寝
る者壱人なし猶右大変最中に米相場石に付百廿匁也
一大変の時此岸本枝村新在家浜におゐて浪始終窺見る所惣て
海上静成物にて浪の子一ツなし風子一ツなし沖合高く陸地
ひくき物なり只緩に水浪の打如くハタリ〳〵として汐先き
届きたる所底地より水泡クツ〳〵として涌き立在所出口よ
り常生海際迄の其中半とおぼしき所迄一番濤二番浪と弐度
来其引汐矢を射如く諸船もろ〳〵藁苞抔沖合へ引出柴の葉
を浮したる如く是申の下刻なり又三番浪四番波原生の海際
より右壱番波二番弐度の汐先き届たる所迄の其中半とおぼ
しき所迄弐度来夫より引返す是酉の上刻也又同中刻に至り
大地震す又此陶り止哉不止哉五度目限りの波最初の濤とは
勢違[暴風|ノワキ]の浪の打上よりも[励|ハゲ]しく入来人家出口岸の下た迄
一面に満合引汐同断尤岸本山の近辺は北汐田江押通流家少
々あり昔宝永年中の津浪潮先きは王子権現宮花表迄届きた
ると云又岸本は不及申に此新在家も亡所に成と云此度の汐
先如此
一大変翌六日朝此新在家浜より沖の方を見渡す所目の届丈ケ
家の棟家道具船抔洪と流有柴の葉を浮たるか如く扨又海上
一円洪上夜須黒隈と云高磯是は尓来三四月の大汐口満たる
時にても森高く有所今海底に成汐満干なし筋立浪なし登り
下りの汐なし五六日至て少々充潮満干出来る又十八日頃よ
り彼黒隈高森汐干の時海底にて少し充名乗(ママ)たす然所に安喜
郡津呂室津の湊常生ゟ汐四五尺位い干下灘原生より汐四五
尺位い波上る昔宝永年中亥大変にも如此と云尤翌卯の三四
月大塩口干汐の時ニ彼黒熊高森少々宛見(ママ)えだす又汐登り下
りも出来浪に筋も出来
一下の岬は上灘の如くと云扨又右に云津浪幾度も曳たり入た
りする時此岸本片灘にては幾ケ程引哉不知余所浦深き入江
且は深き湊内諸船悉く干すつる
一彼五度目かきりの津浪酉の中刻にていつくも一浦皆居宅を
捨逃る其留守を考御国中諸方に盗人数多あり常生盗業面縛
者は□の番手附口賄も被遣或は御城下にて何日居村にて
一日の所此度の大変に付盗業面縛者は番手なし三日三夜空
に行捨居村におゐて面縛素り口賄もなし其上科の軽量によ
り罸文あり且御城下にては[寒死|コゴエ]あり在郷にては類族の者よ
り口賄も内々遣し夜分には蒲団にて巻其上ほんそ抔遣す故
歟寒死なし御国中諸万に面縛者多し此在所にも盗人面縛者
有夜須町にては大盗人も小盗人も数多有大変已後に珠数繰
にして赤岡郡代江牽出し面縛者多し扨又此時節不審成者在
所へ理不尽に入来ると見受る時一応及見咎に其者返答によ
り討捨不苦と云御制札御国中難義する村へ御摺(援カ)あり
一昔の人の云伝に浪の入時は井戸水二三日前方に干ると雖此
度の津浪に此岸本赤岡井戸の水出入なし此近郷の井戸は波
入て後夜に入て水干揚る井戸もあり又大変二三日至て干揚
井戸もあ(ママ、リ欠カ)尤左右郷の井戸は津浪より二三日前方に水干上る
又大変前より雨降ざりしに川の水増廿日頃水減る扨又風雨
の中に地震有物にては無之なき物と云伝あれとも其通り不
行大変の時節には風雨雷電の中に地震度々あり且又此浜辺
の井戸地震度数陶る時は汐気来又地震穏に成時は汐気減る
一五日の大変より十日頃迄朝焼夕焼甚強火玉度々出る扨又酉
戌の間に宛り日輪様の八ツ至頃とか云居所時星とか云様の
星出る此星提燈へ火の入刻限より尓々名乗出し纔に道十四
五丁踏𨻶に落る不怪足早の星なり
一同大変より御国中一日谷々の泉止る尤所により下江下りて
泉出す所もあり又常生泉鮮く土地柄大変より泉増所もあり
猶又大変至て七日頃ゟ翌安政弐卯の二月中旬迄の天気高な
み物(ママ)七歩通大西風弐歩通大北風壱歩通内ナキアメ惣て何風も烈
敷寒甚強く扨又始終の地震大小共陶る時震動と云物歟且は
鳴動と云物歟ヅウ〳〵〳〵〳〵と云て鳴響き渡り其中にも
跡を長く曳のもあり又少し挽のもあり又大筒の様に云のも
あり只一つヅンと云のもあり右ヅン〳〵の度毎地震する一
昼夜に大小共三十度余も陶る
一震動は安政三辰年迄にいつともなく止る地震は安政五午年
正月頃より薄く成る然共毎月一ツ且は二ツ位い陶る未の冬
位治世に成
一右大変後一両年は潮曲い度々あり
一大変より四国辺路并四国辺路御当国へ入事御指留に成然共
慶応四辰年軍上りより御政事薄成他国の破れ辺路夥敷入来
れとも御公儀様より御構いなし
一向後又々此様に浪入と云時は船に乗逃工夫[堅|かたく]すべからす其
子細は昔の津浪も曳汐矢を射如くとの云伝あり此度迚も引
汐矢の如く其潮に向船乗上る事人力に不叶又碇遣ても底地
掘れる物にて碇かゝす由又碇抓たる時は引沈めらると知
るへし既に此度の大変に大坂人は数万人船に乗入込潮に川
上江登り其曳汐に女のクタを巻如くきり〳〵と巻込れ夥敷
人傷と哉扨又久枝邑の者七人斗川船に乗組物部川々尻より
人家へ入込汐に上江〳〵と馳登らんとする所へ夫婦の者子
一人背に負い来申様何卒其船にて命助け呉度様頼入所彼乗
合の者返答には見及の通小さき船に候得は便船叶ぬとて込
入浪に艫押立〳〵する所彼曳汐に大坂の如く逆巻浪にキリ
〳〵と巻込れ影も形ちも不見得と云其時彼夫婦子連れの者
茨に取附助る仍て船には乗へからす尤無拠為替所なくして
船に乗時は最初一番二番の入来浪に附出し沖の方へ乗出す
へし又其子細は三番四番且は五番目かきりの濤は込汐甚励(ママ)
敷最初の波は込汐弱り曳汐は右云通孰も矢を射如く沖の方
なれは猶予あり其試は今度の津浪に岸本三番の網代に小市
艘一艘小漁船一船〆弐艘網綱三ツ四ツ位沖の方に碇突入れ
懸留二三日も居る少しも[構|カマイ]なく猶又浜改田村の者塩売に弐
人参合夜須浜にて入込濤に川船を沖の方へ突出し改田へ乗
帰り危はありたれとも命ちは助る況又一二里も遙沖合にて
小さき摺網船数艘昼夜居所地震は夫々知る津浪は少しも不
知と云ふのみ沖合には諸方に大船も小船も居るとも皆無難
仍ては沖の潟より□しくはあらす尤昔宝永年中の津浪にも
海上静成物と云伝あり此度迚も海上静成共又往々ケ様の時
海上荒る物哉又は風雨有物哉其義は難斗海上静成と見受る
時は沖の方へ乗出し又浪鎮ると見受時猶予すへからす陸地
肝要なり且入江は此理に難叶見斗ふへし又地震する時家の
内に不可居兼て昔の人の云伝有之を不知今度の大変に高知
にては家を不出して居た者は夥敷倒れ家に被伏人傷多し尚
往々心得へし又地震して汐曲ひ抔有時は由断すへからす浪
入来ると知へし又其訳は土佐物語と号ある右人の控に記有
にも昔元禄十六癸未年十一月廿二日当国所々湊口汐満干日
数三日不定一日の内に四五度も曲ひ諸人不審する所に東国
大地震小田原崩れ安房上総江津浪入死人夥敷皆人々知る所
也此事已後に聞ゆる他国の事成共心得のため爰に記とあり
又此度の津浪迚も是ゟ跡に記す通十一月四日地震して夫よ
り汐狂ひあり同五日津浪入仍て右条に万端心得肝要の事な
り又昔の津浪の時にも盗人多かりし云伝あり此度迚も右云
通諸方に盗人おふし是又用心すへし
傷あら増
一御国中奥山にて高山崩れ又高山われたる所多し扨又川堤両
脇放れたる所は悉くわれる
一岸本山近辺十一軒流失潰家数軒あり小身の者面達者より補
受る
一赤岡札場の南一段下た南江融る道ちより西流家八軒半潰多
し死人壱人此者沖帰り船挽掛けて流る扨又小身者おも達者
より補受る
一夜須町家数高弐百軒余の所四十軒斗残る余は流失死人七人
御公儀様より御籠家建被下其上御補被遣
一同村千切四軒流失
一手結浦百五十三軒流失半潰多し御公儀様より御籠家建被遣
其上御補被仰付
一赤野弐軒流失
一安喜町地震強く傷家多し
一同松田嶋家数三十軒流失死人十七人
一安田田野奈判利浪不入常生の海際より一二間位い岡へ汐
[湛|タタエル]
一津呂室津陸四五尺位い上る其外下も灘は陸四五尺位下かる
昔宝永年中の津浪にも如此と云
一甲浦大変已後潮湛揚
一幡多宿毛御屋敷并家中残る余は流失
一下田中村大出火御役家斗残る
一上の加江亡所
一久礼半なかれ
一須崎御役家漁師町残る
一宇佐并井の尻家数千四百軒の所千弐百軒流る
一福嶋千軒の所三十軒残る
一御国中にても就中御城下大地震御家中町并上町には倒家[鮮|スクナ]
く下町北向町は物に譬は簀にてなんぞの埃をサヒルか様に
東西南北皆一己に家蔵不残サヒ倒シ泥煙闇の如く[剰|アマツサエ]数ケ
所の出火立拱十文字に焼る人傷多し扨又津浪汐先は御家中
町各々下も一丁位い浸る市中江は汐不入又下地は勿論新町
近辺は是又各々下も一丁位い浸る昔宝永年中の津浪は大門
前迄海の様に成と云此度津浪汐先き如此
傷左の通
一家数弐千五百四十一軒 十五町
内(
千八百七十四軒
内
千六百五十軒 御町
弐百弐十四軒 他支配
焼失
六百弐軒
内
四百二十六軒 御町
百七十六軒 他支配
潰家
六十五軒
内
五十二軒 御町
十三軒 他支配
半潰
一九十一人死す内四十七人新市町
一行衛不知 十三人
一王(死カ)人 四人
一焼死馬 弐疋
〆 寅十一月十三日縮
外に他支配死人は病気の由にて未相分
御城下潰家焼失王人死人御町方縮左の通
(注、〔嘉永土佐地震記〕に詳細あり、省略)
土佐吾川長岡三郡郷浦破損左の通
(
注、「史料」第四巻一七四頁上八行以下と同じ。但し
次の三行は「史料」になし
)
一汐入田地千百八十三石余
一甘蔗千三百抱流失
一同壱万六千八百貫斗流失
他国分
一大坂人傷は夥敷堀江大川筋長堀是無難の由
一阿波徳島大出火の由
一紀州熊野近辺大津浪の由
一京都并中国筋は軽く由
一伊勢尾張地大傷の由
但京都にては大変五日の夜御月様御弐躰坐すと哉当国に
ては御月様の御入合御色合小豆小豆の𤋎汁の様なる御色
にて甚恐多く次第にてあり
一此已後ケ様の津浪にて草麦へ汐入たる時其儘に差置ては草
麦枯る物なり水口ゟ幾度も〳〵水通し替塩出しする時は草
麦生立物と知へし既に此度試あり扨又爾来晒苗床地汐入た
る所苗生立宜敷物なり是又此度の試に汐入嫌ひ水田江苗蒔
たる者は赤サヒ且は青サヒ抔出惣て苗生立烈敷汐入不構苗
蒔たる者はよきなゑ取なり尤時々節にも可寄歟
一去る嘉永七寅の大変より安喜郡津呂室津汐四五尺位い干る
夫より下灘四五尺位湛揚高知江廻り一面海底に成今安政四
巳年迄四ケ年に成共如件随て人家々床迄汐閊其中に壱尺よ
り弐三尺も浸りたる家村々に多し又御家中町各々下もの詰
堀の取合潮満たる時は町地形よりも岌汐囲玉塚あれとも汐
潜り沼の如く爰も彼も兎にも角にも往来不自由彼是難義万
人甚迷惑す就中百姓大迷惑渡世留り[絶海|タルミ]の内且ヤヱモンの
丸是爾来田地の所今は海底此所にて鰡小鰺魴鮄抔古来なき
魚を店内の女房子時に持音色々遂調義を長き光陰送然所に
昔宝永年中の津浪古き人の記録を見る所今の如く津呂室津
陸六七尺上る下も灘六七尺下かる入込たる汐不減高知近辺
往来不自由船にて通路す翌年に成共替る事なし堀端へ汐土
手築又石淵迄の内大還高く築とあらましを記有のみ其後い
つの時節に汐減たると云掟もなく然時は年数経に随ヒ自然
と汐減に究たる歟其子細は今度の大変寅の年迄往来不自由
可云所聊なく又彼沼地江家を建宛なき浮世を渡る筈も有間
敷又彼記録に其時の損田御国中に四万五千百七拾石と記有
共其古跡寅の大変迄なし仍ては今案するにも及へからす歟
乍併我幼歳の時節老たる人の噺には昔と違近年海辺和田の
原沖の潟へ出張たるは必定也其訳は第一手結浦北磯是は不
及云に岸本浦磯の端前には少しの浪立にも山の根迄濤打懸
往来不自由既汐除道あり右北磯迚も其通今は幾か程の浪立
にても山の根迄波届くと云事なし又北磯迚も同断皆往来自
由に成且又浦戸湊出入口是又昔に替り浅瀬揚此浅瀬留子細
は奥の入江古へは葛嶋夕べ嶋比島抔と云て顕然内海の島て
あり今人家に成との云伝也又高知下も町は入江の沼を置上
たる土地柄と云ふのみ其余[莫太|ハクタイ]もなき新田拵今追々出来に
付奥窄り夫故潮満干勢鮮仍て湊の内癒上るとの噺再三聞し
事あり依之我等今慮所必湊奥窄り汐勢鮮湊癒上ると云へき
にもあらす又手結岸本両山の端へ濤不届は和田の原澳江出
張たる故とか云にも不有其子細は右推察する通彼宝永年中
の津波後湛上たる残汐年数経に[♠|マカ]せ自然に汐減たるに付右
弐ケ所山の根波も不届彼の湊あせたる様に成是顕然指当り
の所夫れとも不知只一涯に和田の原斗澳の潟江出張ると心
得噺しつらん哉乍去ケ様に汐減詰たるは大変起る基歟右の
次第に及今又汐湛上たるに付彼北磯塩引くの往来又磯の端
少しの浪立に山の根濤擣(ママ)笑ふ又彼湊も深く成彼是共昔の通
に成然時世界はうゐつしづんづする物歟尚往々万端心得油
断すへからす