[未校訂](栗林伝八郎覚書)旧野江村 三浦豊一郎家文書
(注、「史料」第四巻三七七頁上一五行のあとにつゞく)
(付記)前段の懸り故荷物も持出し得ず着類夜具等も都て流
失前日よりも厚く相心得用意仕罷在り火急の場合油断なく御
銀持出し候義にて少も手抜かり等はこれなく全体気丈夫にて
屈意の若者に御座候所御銀に相拘り立退き方相後れ格別の危
難に逢ひ候得共気強く相凌ぎ候所より助命仕其時惣身所々搔
裂打込候疵数ケ所ニ御座候追て右疵相疼む程にて歩行難相調
候得共助命仕ながら御銀流失残念に相心得同役所代をも不相
頼右浦にて御用方相勤め快気の上交代仕候所に御座候随て御
銀は流失仕候得共前顕働の所且其後の運びとも[別|わけ]て心得宜し
く充之事に候依之別段の御趣意を以て為御褒美百匹被下候
○
覚
一昨寅十一月五日大地震汐狂ニ付処持之道具流失成候分株書
ニ相認申出候様被仰聞奉畏候先達申上候通荷物之義は御分一
処ニ指置候間不残流失仕候私処持之道具左書之通ニ御座候
卯二月十二日認上候事
一刀 壱本
一脇差 壱本
一荷物 壱荷
一着類 拾枚
一帯 弐筋
一股引 壱足
一麻上下壱具
一袴 弐具
一𥡴古袴壱具
一野袴 壱具
一蒲団 壱枚
一敷蒲団壱枚
一鋳形 壱箭
一合薬入壱つ
一口薬入壱つ
一銀百五十目
一火繩 壱把
一傘 壱本
一衣箱 壱つ
一諸箱 壱つ
一韻鏡 五冊
一雑書 弐冊
一□□ 四冊
一小学 弐冊
一唐詩選弐冊
一三□詩壱冊
一四書示蒙句解八冊
一菅家世系録 三冊
一国巻字引 壱冊
一庭訓往来 壱冊
一当用文書 二冊
一朗詠集 二冊
一和家名所図 四冊
一三才目録 壱冊
以上
[東光寺|とうこうじ] 阿波志に「東光寺 亦在鞆浦、隷丈六寺」とある
とおり、字東光寺谷と地名に残る谷口に在つて丈六寺末の曹
洞宗の大寺であつた。(○中略)
これが享保九年鞆浦棟附人改帳になると、寺門が衰退して下
人も小家もなくなり、養麟という三十歳の住職の名だけが見
え、堂宇の荒廃も甚だしく、遂に嘉永七(一八五四)年霜月の大地震で倒
壊、その後は寺号だけが残つていたが、明治維新後到底再興
の見込なしというので、浅川浦の千光寺に併合されたのであ
る。
安政元一八五四大津波嘉永七年(安政と改元)十一月当
地に大津波あり、鞆浦水谷前の路
傍に鞆浦海嘯記の石碑がある。
善称寺九代の住職祐深師の手記
に、この頃数度の地震津波の状況
が詳記されている。
東光寺の堂宇倒壊。