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項目 内容
ID J1800502
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔三重県松ケ崎郷土史〕S34・9・5松阪市公民館松ケ崎分館
本文
[未校訂]嘉永七年十一月四日、五日に大地震津波があつて、海面堤が
切れこみ、田畑に潮が入り、安政二年、植付けをしたところ
が養水なく、立枯れとなり、植えかえをしたところ、この上
照りつづきになれば殆んど米はとれなくなるであろうと案
じ、松ケ島村の高百九十五石ほど、この町十八町ほど見込み
ないとして、その内訳を、二町ほどは、田植後立枯れとなつ
たので植えかえたが、また立枯れとなつてしまつた。
嘉永七年十一月四日、五日大地震高波があつて、松崎浦の被
害も極めて大きく、流失した家や海水の入つた家も多くあり
ました。この津波によつて嘉永五年に計画せられた工事用木
材が、有田郡楠原村北村角兵衛からとゞけられることとなつ
ていたものを全部流失してしまいました。このときの地震
に、道路や橋が破損し、下之庄組算所や、堀之内、津屋城か
ら納められる年貢米を松崎御倉へ運ぶことができないので、
三渡りから瀬口船にて運ばして欲しいと願い出ています、地
震のようすについては、生活が非常に難儀になつたのでその
救助を浦人三人から浦庄屋あて出された文書に次のように記
されています。
去る冬十一月四日、大地震津波につき、大騒ぎとなり、家
々いたみ、諸道具流失漁船、漁道具も同様に流失、なお田
地、波除け堤数ケ所破損、井関千〆、土橋、圦残らず破損
皆潮入り、所々洲入りとなり、かなり潮関出来、冬作はも
ちろん、夏作も皆無同様にて、非常に難儀となり迷惑をし
ています。
このように記されています。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 1264
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 松阪【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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