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項目 内容
ID J1800483
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔三重県神社誌〕T8~T15 三重県神職会
本文
[未校訂]*当社ハ九鬼村大字早田ノ西北部ニ位シ南面ノ鎮座ナリ境内ニ
ハ老杉古松亭々トシテ聳エ加フルニ雑木枝ヲ交ヘテ欝蒼タ
リ、社ノ前面ハ海岸ニ近ク背後ハ樹木ヲ以テ回ラシ東方ニハ
川流アリ西方ニハ畑地アリ其ノ眺望最モ佳ナリ、本殿ノ西北
約三間ヲ距ル処ニ高サ凡二丈五尺周囲七丈余ノ巨巌アリ安政
元甲

年十一月四日大地震アリテ大津浪起ルヤ村民社殿ノ流失
ヲ慮リ大綱ヲ以テコノ巌ニ繫ギタリトノ記録アリ故ニ里俗今
猶之ヲ宮止石ト称ス *九鬼村早田神社
一建速須佐之男命ハ元字向井鎮座村社錦神社ノ祭神ニシテ由
緒ハ明細帳ニ勧請年月不詳候得共安政元


十一月四日津浪
ノ節悉皆流失ニ相成安政二
卯乙
四月廿五日京都ヨリ勧請同年
十一月十五日鎮座トアリ
図(次頁に掲載)
長一尺五寸 幅五寸六分嘉四郎
太郎右衛門
太郎右衛門
□七
林助甚七
清三郎
留蔵
彌助
善蔵
幸太郎
新治郎
五人組
同兵輔
組頭忠太郎
肝煎紋之助
庄屋善兵衛
奥野市左衛門
禰宜
時假宮造建
津浪ニ面宮流失當
四日辰刻之大地震
嘉永七甲寅年十一月
(裏)
二天八王子
水谷五郎吉前山村
奉造宮大工
(表)
幅五寸六分
長一尺五寸
り不申先時を御直り候様此に記置申候如此はべる
去る亥年御造宮迄貳百七十三年に罷成申候へ共貳百年目迄の札上り七十年程の札上
前地社御前□社は流失仕無之候棟札十三枚之内三枚上り年數は廿一年目御造宮に而
直に御假家繕い元の荒屋敷へ假場しつらい勧請仕置ませ申候尤五社御神体之内谷御
拾ひに出候所海中に浮み漂流仕居候由知らせ来り早速かけ附御神体守護いたし返り
破れ流失に及御神体一兩日も不相分如何相成候哉と一統安心無之折柄氏子共流失木
幷に宮後口より高浪打越し石垣崩れ宮中大荒破に而五社之大宮一々打流され社は打
嘉永七甲寅歳十一月四日辰半刻之大地震無程大津浪に而村中八九分通流失其刻向井
(裏)
牛頭天王
水谷五郎吉
赤羽谷前山村大工
(表)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 1234
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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