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項目 内容
ID J1800196
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔信陽新聞〕○長野県諏訪S3・3・13
本文
[未校訂]花岡篤成(七)
篤成が[息元之|そくもとゆき]をして筆録せしめたる日記は、諏訪郡内の事は
勿論幕末の事変細大漏らすなく頗る珍重すべきものなるが今
多く散逸せるは惜むべし、嘉永七年の条に曰く、
十一月四日、昼辰の下刻大地震、御城内長手土手五分程も割
れ、大手御門前塀蓮池の方へ倒れ、大手御門大損じ、三之丸
御殿大損じ、外に常盈倉御蔵シハン一尺程もつき出し、二之
御門一之御門大損じ、御作事稽古所大損じ、御馬屋半分損
じ、御本丸御雑事氷餅部屋御損じ、西南御櫓少々そんじ其外
御家中志賀七右衛門殿牛山金兵衛殿右大そんじ、三之丸御門
長屋、御櫓脇大杉裏に御長屋之有右之所の村岡善右衛門と申
す人大そんじ、鵜飼林蔵殿は無難、有賀源兵衛殿塩原彦七殿
松田元之助殿志賀喜惣兵衛殿岡部生駒殿石井政之丞殿右之屋
敷大潰れ、矢島浪恵之助殿山中三郎兵衛殿、大熊善兵衛殿渡
辺次左衛門殿三輪十郎左衛門殿菊地八郎殿菅沼織右衛門殿矢
島六左衛門殿沢市左衛門殿前田彦右衛門殿工藤三助殿勅使河
原器助殿安間五左衛門殿右之屋敷半分大損じ、右之訳にて江
戸表へ御飛脚の儀、先づ享保年中之有候ふ例を以て、小喜多
惣蔵殿同じく五日に出立仕候
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 545
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 諏訪【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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