[未校訂] 嘉永七年六月十四日地大に震ひ川北村に於ける朝明川の堤
防左右共に崩壊せり此村は元松平下総守の所領たりしが中ご
ろ一たび天領となり後復下総守の領地となれり当時復領日尚
浅くして官の修築を仰ぐに由なく村費を以て之を支弁せんと
するも戸数五十に過ぎざるの小村を以て二千余間の堤防を築
くは到底勝ふる所に非す君乃私財を捐て日夜民を督励してよ
くこの大事業を了へ一村の人民をして各其の堵に安んぜしめ
たり。
                
            西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
| 項目 | 内容 | 
|---|---|
| ID | J1600157 | 
| 西暦(綱文) (グレゴリオ暦)  | 
            1854/07/09 | 
| 和暦 | 嘉永七年六月十五日 | 
| 綱文 | 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕 | 
| 書名 | 〔三重県三重郡誌〕▽ | 
| 本文 | 
                 
                    [未校訂] 嘉永七年六月十四日地大に震ひ川北村に於ける朝明川の堤 
            防左右共に崩壊せり此村は元松平下総守の所領たりしが中ご ろ一たび天領となり後復下総守の領地となれり当時復領日尚 浅くして官の修築を仰ぐに由なく村費を以て之を支弁せんと するも戸数五十に過ぎざるの小村を以て二千余間の堤防を築 くは到底勝ふる所に非す君乃私財を捐て日夜民を督励してよ くこの大事業を了へ一村の人民をして各其の堵に安んぜしめ たり。  | 
        
| 出典 | 新収日本地震史料 第5巻 別巻3 | 
| ページ | 150 | 
| 備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 | 
| 都道府県 | 三重 | 
| 市区町村 | 四日市【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる | 
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