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項目 内容
ID J1600115
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔旧阿山郡役所文書〕▽「伊賀上野城史」
本文
[未校訂]伊賀国上野城地震ニ而本丸内石垣三ケ所崩同所石垣四ケ所孕
同所山手壱ケ所崩天守台石垣弐ケ所孕本丸東之方岸弐ケ所崩
壱ケ所地割地下り同所続東より南折廻石垣壱ケ所崩同所南之
方石垣四ケ所崩同所石垣壱ケ所或崩或孕同所西より北江石垣
四ケ所孕同所北有方から堀端土堀壱ケ所崩同所内堀西より北
江石垣土居共四ケ所崩本丸外西之方石垣四ケ所孕壱ケ所崩同
所乾之方岸弐ケ所崩同所続壱ケ所地割地下り同所北之方岸壱
ケ所崩同所北之方から堀端岸壱ケ所崩同所艮之方岸三ケ所崩
壱ケ所地割地下り同所東之方石垣三ケ所孕弐ケ所崩外曲輪土
居東南西江折廻所々地割東大手門東寄櫓台桝形石垣共弐ケ所
崩同所西寄櫓台石垣壱ケ所或崩或孕同所棚下石垣壱ケ所崩壱
ケ所孕西大手門東寄櫓台石垣壱ケ所崩同所西寄櫓台石垣壱ケ
所崩外桝形石垣壱ケ所孕外堀東より南西江折廻前向共土居弐
拾六ケ所石垣弐拾六ケ所或崩或孕櫓二重櫓共七ケ所半倒壱ケ
所倒石土居石垣孕或崩候付而築直之事絵図朱引之趣得其意
候、願之通以連々如元可被申付候且又櫓門多門倒其外及破損
候場所如先規申付度旨令承知候 恐々謹言
安政二卯
三月朔日
牧野備前守
忠雅 花押
内藤紀伊守
信親 花押
久世大和守
広周 花押
松平和泉守
乗全 花押
阿部伊勢守
正弘 花押
藤堂和泉守 殿
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻3
ページ 115
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 上野【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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