[未校訂]○十月二日、細雨時々降る。夜に至りて雨なく天色[朦朧|もうろう]たり
しが、[亥|い]の二点大地俄に震ふ事甚だしく、[須臾|しゆゆ]にして[大廈|たいか][高|こう]
[牆|しよう]を顚倒し、[倉廩|そうりん]を破壊せしめ、[剰|あまつさえ]その[頽|かたむき]たる家々より
火起り、[熾|さかん]に燃上りて黒煙天を[翳|かげらし]め、多くの家屋資財を焼
却す。神宇[梵刹|ぼんさつ]は[輪奐|りんかん]の美を失ひ、貴賤の人家は[鱗差|りんさ]の観を
[損|そこな]ふ。尊卑の大患、東都の[物恠|ぶつかい]、何事か之に[如|し]かん。凡そ此
の災阨に[罹|かか]りし[儔|ともがら]、家族に離れて道路に[逃漂|さまよい]、甚だしきは[圧|おし]
に打たれ炎に焦れて、生命を損ひしもの数ふるに[遑|いとま]あるべか
らず、号哭[痛♠|つういく]の声[閭閻|りよえん]に満ち、看るに[肝|きも]消え、聞くに魂奪
はる。其の顚末委曲に[演|のぶ]る事を得ざれば、左に大略を挙ぐ。
凡そこのたびの地震、江戸に於いては元禄十六年以来の大震
なるべし(今夜四時より明方迄三十余度震ひ、其の余十月迄
百二十余度に及べり)。△御城内石垣、多門見附御番所等、
所々破損あれ共格別の事なし。△[御曲輪|おくるわ]内[甍|いらか]を並べし諸侯の
藩邸、或ひは傾き或ひは崩れ、[立地|たちどころ]に所々より火起りて、巨
材瓦屋の焼け崩るゝ音天地を響かし、再び振動の声を聞く。
暁方に至り灰燼となれるも多かりし。△小川町の辺一円潰家
多く、小川町猿楽町は所々より火起りて、大小名邸数宇焼亡
せり。△小石川隆慶橋手前江戸川続武家地焼亡。△谷中天王
寺五重塔は九輪[計|ばか]り折れて落つる。△根津より下谷茅町の通
殊に甚だしく、人家[潰|つぶ]れたること軒毎なり。七軒町より出火、
茅町二丁目よりも出火して、この辺多く焼けたり。△下谷坂
本も家毎に潰れたり。同三丁目より出火、一丁目迄焼けたり。
△上野町一丁目裏組屋敷より出火、広小路常楽院、大門町、黒
門町、長者町、徳大寺、一乗院中、[御徒士|おかち]町、その外類焼多
し。△東叡山諸堂、別条これなし。大仏は御首落ちて砕くる。
不忍池石橋崩れ落ち、境内茶屋残らず焼くる。△下谷御成道
諸侯の邸総て潰れたり。△本郷新町屋の辺潰れ多く、麴室所
所崩れ落ちて、即死ありける由なり。△本町、石町、日本橋
向ふの辺より、大伝馬町、小伝馬町、馬喰町辺、神田の辺は、
去冬と当春の炎に罹りて、家作あらたなる故おのづから痛少
く、よつて池魚の阨も又これなし。されど土蔵の壁は皆震ひ
落せり。△浅草田町の辺潰家殊に甚だし。浅草寺地中馬道辺
より出火、地中東の方寺院十八宇并びに町家焼く。田町一丁
目二丁目より火起て、聖天町、山之宿町、金龍山下瓦町、山
川町、猿若町芝居三座、南馬道、北馬道、花川戸町(西側)
等焼けて死亡人多く、花川戸町河岸の角にありし六蔵の石[灯|とう]
[籠|ろう]、稀世の古物なりしが、傾く事なくして全し。△今戸橋畔
柏戸金波楼(玉屋庄吉)潰れて火起り、近隣類焼せり。△橋
場町金座下吹所出火。△[山谷|さんや]寺町寺院大方潰れ、又は大破に
及ぶ。山谷浅草町残らず潰る。△浅草寺本堂、二王門、風雷
神門[恙|つつが]なし。本坊奥向き潰る。境内堂社多く潰れたり。五重
塔九輪のみ傾く。△駒形町出火、駒形堂は残り、諏訪町、黒
船町、三好町迄焼くる。△東本願寺は本堂恙なく、地中潰れ
たる多し。△行安寺門前より出火、玉窓寺より出火、近辺焼
くる。寺町寺院大破。△吉原町の焼けたるは他所より早し。
京町二丁目江戸町一丁目より火起り、其の余潰れたる家々よ
り次第に焼出て、一廓残らず焼亡す。大門外五十軒道は北側
のみ残る。△[小柄原|こづかつばら]より出火、旅舎残らず焼亡。△[三囲稲荷|みめぐりいなり]
社并びに末社額堂潰る。土手の際に在りし石大鳥居、倒れて
砕くる。長命寺潰れ、牛御前は額堂其の外潰る。隅田川堤裂
け大地割れて、泥水湧き出でたり。△本所の地は殊に震動烈
しく、家々両側より道路へ倒れかゝりて、往来なり難かりし
と、死亡幾百人なるを知らず、又焼亡の場所多し。△本所緑
町壱弐丁目焼亡。同四丁目五丁目、花町、上村氏、徳右衛門
町、亀戸町(半町)、南本所荒井町、北本所荒井町、五の橋
町、出村町、瓦町、番場町、中の郷竹町、同所武家地、茅場
町、石原町其の外組屋敷等潰れ、焼亡す。中の郷太子堂、押
上最教寺、柳島妙見宮の門前、柏戸橋本の家潰る。萩寺本堂
僧坊、光蔵寺、長寿寺本堂潰る。亀戸町少々焼け、小梅瓦町、
柏戸小倉庵潰る。出火近辺焼くる。△一ツ目弁天社拝殿其の
外潰れ、御船蔵前町より出火。此の辺一円に武家町屋焼くる。
此の火深川六間堀の火と一ツに成れり。△五ツ目五百羅漢寺
本堂大破、左右の羅漢堂并びに天王殿(布袋四天王、関羽を
安ず)潰れ、三帀堂(俗にさざえ堂といふ)大破に及べり。
△深川の地も本所と等して震動甚だしく、潰れたる家々より
出火多し。熊井町、相川町、中島町、蛤町、黒江町、大島町、
仲町、山本町、永代寺門前、伊勢崎町、亀久町、富吉町、三
間町、西町、諸町、元町、常磐町、六間堀町、八名川町、森
下町、小笠原侯、井上侯、太田侯下屋敷、其の余御旗本衆或
ひは組屋敷等焼亡せり。六間堀神明宮は火中に残り、富岡八
幡宮恙なし。別当永代寺は大方潰れたり。三十三間堂三分の
二潰る。深川寺町玄信寺、海蔵寺本堂潰る。猿江の辺寺院町
屋多く潰れたり。△霊巌島塩町より出火、同所四日市町、同
所銀町二丁目、大川端町焼亡。△浜町水野侯中屋敷焼失。△
築地西本願寺恙なし。鉄砲洲松平淡州侯屋敷より火出て十軒
町へ焼込む。△南鍛冶町一丁目より出火、同二丁目狩野屋敷、
五郎兵衛町、畳町、北紺屋町、白魚屋敷、南伝馬町、南大工
町、松川町、鈴木町、因幡町、常磐町、具足町、柳町、炭町、
本材木町等へ焼込む。△柴井町も潰家より出火あり。△芝西
久保麻布の辺、其の外四谷、赤坂、市谷等、山の手と唱ふる
所は震動少く、潰家も随ひてすくなかりし。△品川沖御台場
の内建物潰れ、土中へ入り、[剰|あまつさえ]火を発したり。此の夜、潰
家より火起り焼亡に及びし場所、間数左の如し。
△大手御門前、西丸下[八代洲|やよす]河岸、日比谷幸橋御門内まで、
長さ十三町余、幅平均三町程。△南大工町より燃立ち、京橋
の辺一円焼失す。長さ五町余、幅平均二町程。△[築地|つきじ]松平淡
路守殿より火起り、十軒町焼失。長さ一町半余、幅平均四十間。
△柴井町木戸際より起り、同町のみ焼くる。長さ一町四十間
余、幅三十八間程。△霊巌島塩町より起り、浜町、四日市、北
新堀、大川端迄、長さ一町余、幅五十間程。△浅草駒形町よ
り起り諏訪町外五ケ町類焼、長さ四町余、幅三十間程。△同
行安寺門前より起り、龍光寺門前玉窓寺より起る。長さ三十
六間余、幅三十間程。△浅草寺地中より起り、田町、花川戸
町、猿若町焼失。長さ八町余、幅平均二町半程。△吉原町残
らず、非人頭かまへ内焼失。長さ三町余、幅平均二町二十間
程。△上野町一丁目武家境より起り、下谷広小路東の方一円
焼く。長さ六町半余、幅平均一丁十間程。△下谷茅町二丁目
より起り、武家方焼く。池の端七軒町より起り、長さ二町半
余、幅平均四十五間程。△下谷坂本町三丁目より起り、同一
丁目二丁目焼失。長さ二町二十間、幅平均四十五間程。△千
住小塚原町より起り、下谷みのわ町へ飛火焼失。長さ一町半
余、幅平均五十間程。△橋場金座下吹所より起り、又今戸町
より起り、最寄焼失。長さ一町二十間余、幅平均二十間程。
△小川町辺燃立ち、家不知一円、水道橋内まで焼失、長さ六
町半余、幅平均四町程。△浜町水野侯中やしき長屋内焼失。
長さ五十二間余、幅四間程。△小石川りうけいばし辺武家や
しき焼失。長さ四十二間余、幅十間程。△永代橋向南の方、
深川永代寺門前仲町辺一円焼失。長さ十間、幅平均三町程。
△深川いせざき町、亀久町の辺焼失。長さ三町余、幅平均三
十間程。△新大橋向御船蔵前町、六間ぼり森下町辺焼失。長
さ七町余、幅平均二町半程。△本所緑町より竪川通り、中の
郷五の橋町辺焼失。長さ六町余、幅平均三十間程。△南本所
石原町法恩寺橋まで、亀戸町焼失。長さ一町二十間余、幅平
均十二間程。△南本所荒井町、北本所番場町の辺焼失。長さ
三町余、幅平均二十五間程。△中の郷成就寺、向小梅町元瓦
町の辺焼失。長さ五十間程、幅平均八間程。以上、江戸中焼
亡場所、合はせ凡そ長さ二里十九町余、幅平均して二町程と
聞けり。
〇三日朝五時過ぎにいたり、諸方の火やうやく鎮まれり。○
神社は大方破損少し。○凡そ此の度の地震に、武家町屋寺院
等に到る迄、家の全きは甚だ少し。倉庫は悉く壁落ちて、こ
れに触れて死にたる者多し。火災ある所の倉庫は悉く焼けて、
家財雑具は更なり。重代の名器珍宝亡び失せたるもの数をし
らず。再度の震動を恐れて、貴人は庭中に席を設けてこゝに
明し給ひ、庶人は大路に畳を敷き戸障子をもて四方を囲ひ、
しばらくこゝに野宿し、傾きたる家はかりそめに繕いてこゝ
に憩ひたり。本所深川、下谷茅町、山谷等の地は家毎に潰れ
たれば、更に大路の通路さへ成りがたし。[頓|やが]て壊れたる家の
材木を集めて、はかなき仮屋をいとなみて住居しけるが、甚
だしきは食糧にさへ[竭|つき]て、焦土にたゝずみ悲泣せるもありけ
るとぞ。〇二日夜よりこのかた、地震[屢|しばしば]ありて更に止む事
なし。○町会所より日々野宿の貧民へ握飯を与へられ、又御
救の小屋を所々に建て養はる。富人も又色々の施しを行へり。
○地震の後、酒肆食店商ひ甚だ少し。絃歌鼓吹街に絶えたり。
○地震の後、池の端弁才天境内の料理屋残らず門外へうつす。
○板材木作事諸職人傭夫の賃銭甚だ[貴|たか]し。官府より厳重の御
沙汰あり。○このたびの地震、近郷は更なり、近国にも及べ
りとぞ。○地震の前兆、色々の談あり。又其の夜危難にあひ
し輩、さまざま[話柄|はなし]あり。こゝに略す。○地震の事を誌して
梓行せる「安政見聞志」、同「見聞録」など題せし冊子あり、
坊間に[售|あきな]ふ所の一枚摺、綴本、にしきゑの類、何百種といふ
事をしらず。○吉原町娼家の[僑居|かりたく]は、五百日の間免許ありて、
十二月より春へかけて次第に営作成り、元地の家作は翌[辰|たつ]年
より[巳|み]年へかけ、同年六月迄に成就して各[徒移|しい]せり。○同僑
居の地、△浅草は東仲町、西仲町、花川戸町、山之宿町、聖
天町、金龍山下瓦町、今戸町、山谷町、馬道町、田町一丁目
二丁目。△深川は永代寺門前町、仲町、東仲町、山本町、佃
町、常磐町一丁目、松村町。△本所は御船蔵前町、八郎兵衛
屋敷(一ツ目弁天の辺なり)、松井町一丁目、入江町、長岡
町一丁目、[陸尺|ろくしやく]屋敷、時の鐘屋敷等なり。○[抑|そもそも]此の夜都下
の急変、いづこも同じ[轍|てつ]なれど、わきて[花街|いろまち]の[忽劇|こつげき]はかなら
ずしもいふべからず。未だ夜更くるにあらざれば、毎家酒宴
に長じ歌舞吹弾の最中、俄に家鳴り震動して[立地|たちどころ]に崩れかか
り、うつばりくぢけ柱折れ、其の物音は雷霆よりも[凌兢|すさまじ]く、
魂中天に飛び、[懾怖|しようふ]周章して二階を下らんとすれば、[胡梯|はしご]跳
りて下る事ならず、狼狽し[宛転|ころがり]落つれば、巨材其の上に堕ち
重りて五体を[挫|くじ]き、或ひは其の間に挾まれて自在を得ず、[号|さけ]
べども援くる人なく、呼べども[応|こた]ふる人なし。瞬目の頃火起
りて、焰勢其の身に迫る。危くして遁れ出たるも途方を失
ひ、烟に咽びて道路に倒れ、息絶えたるもあるべし。家のあ
るじ、家族に於いても猶しかり、僅に四肢を全うして脱れ出
たるもあれど、資財宝貨は他へ運ぶに[遑|いとま]あらずして、むなし
く灰燼となしつ。この火五街に延蔓して、廓中残る家なし。
三千の[遊君|あそびめ]或ひは漂逃、あるひは亡びたり。かゝるをりには
看返り柳も見かへる事なく、[合力稲荷|ごうりきいなり]も力を合はするによし
なし。[久喜|ひさき]万字屋は[火前|ひさき]に向ひ、火炎玉やはくわえんにうづ
まる。海老屋が柱はえびの如く曲りて焼け、菱屋がかどは菱
の如く[窳|ゆがみ]て残れり。[較|やや]明方に及んで阿房一片の烟と立登り、
惜しむべし、廓中[尽|ことごと]く[烏有|うゆう]となりぬ。焼死[怪瑕人|けがにん]幾百人か
ありけん、さだかに知れる者なし。火中に其の[骸|むくろ]を繹び出
し、惨怛して腸を断ち、なく〳〵家に送りて後葬儀を営む。
五十軒道は六道の街となり、編笠茶屋のあみがさは[郊辺送|のべおくり]の
被り物とやなりけむ。この夜、此の里に遊びし騒人嫖客、こ
の[妖孽|わざわい]にあひて或ひは横死し或ひは重き疵をかうむり、[勃窣|はらばい]
して路頭にさまよひ、たまたま無事にして落ちのびたるも、
衣服佩刀を失ひ、あらぬさまして家に帰りしもありけるとぞ。
まして廓中の男女、この夜の窮厄、はた金銀財宝数を[竭|つく]して
失ひぬる事量り知るべからず。痛むべく歎くべく、何ぞ[毛頴|ふで]
をもて[演|のぶ]る事を得んや。〇十一月、国家より諸宗の寺院に命
ぜられて、此の度の禍に罹りて亡びる輩、迷魂得脱の為、同
二日、[施餓鬼法会|せがきほうえ]を修せしめらる。[緇素|しそ]参詣して香花をさゝ
ぐ。○此の度変死怪我人、市中の[呈状|かきあげ]には変死男女四千二百
九十三人、怪我人二千七百五十九人とあり。寺院に葬ひし人
数は、武家浪人僧尼神職町人百姓合はせて、六千六百四十一
人と聞けり。○蘆の屋[撿挍|けんぎよう]は、[塙撿|はにわ]挍よりこのかた[瞽者|こしや]の博
識なり。惜しむべし、地震の夜針術の為に病家に赴きて横死
せり(西久保光明寺に葬す)。〇十一月より町会所に於いて、
震災に罹りし貧民へ御救米を分ちあたへらる。○同二十三日、
両国橋御修復成就によつて、老人の渡り[初|ぞめ]あり。○同晦日、
長唄の三味線に名ありし杵屋六翁死す(七十余歳)。○〔無補〕
同三日、赤坂田町料理茶屋、[隠売女|かくしばいた]の媒介せしによりて召捕
へられ入牢、十二月に至り[御叱|おしかり]にて落着す。○〔無補〕十月の
頃より駒込巣鴨辺に於いて、夜中刀物を以て女の[臀|しり]を刺すも
のあり。十一月上旬に至りて止む。〇十二月二日、[切支丹坂|キリシタンざか]
火事。○同七日夕七時より、雪降り出して少しく積れり(地震
後仮の繕ひしたる家々、小屋がけ野宿の賤民、その困苦いふば
かりなしとぞ)。○同八日、夜[子|ね]刻、八丁堀水谷町一丁目より
出火、長さ凡そ一町、幅五十間程焼失す。○同十日、北辰一
刀流剣術師千葉周作成政卒す(浅草誓願寺に葬す。浅利又七
郎の門人にして一派をなせし人なり。二男栄二郎も名人の聞
え有りしが、文久二[戌|いぬ]正月卒したり)。○松平越州侯、高田
の中屋敷安置の観世音、今年より毎月十六、七、八日には諸
人参詣を許さる。○同二十日、雪降りて尺に満つ。○地震後、
河原崎権之助が芝居名題森田勘弥に改む(俳優、前の坂東三
津五郎なり)。○近頃[麁糲|それい]の菓子に、紅梅焼と名付くる物を
[售|あきな]ふ家多し。是れは[香餅|こうべい]と云はんを、しか誤れるなるべし。
増訂武江年表巻之九畢