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項目 内容
ID J1400126
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔南部坂御祐筆間日記〕真田家文書国文学研究資料館国立史料館
本文
[未校訂]十月二日 少々雨
一御機嫌克御覚六ツ半時
一御上屋鋪ゟ御覚御伺被仰進候
一今晩五ツ半頃大地震、御座鋪向其外戸障子はづれ、かべ落、
御庭へ御立のき被遊候、右地震ゟ所々出火ニて、御上屋鋪
御近火、御前様御立のきニて被為入、女中不残立のき参り
候、一統江御かゆ被下
殿様ニハ地震ニ付御登城 被遊候
一幸橋様地震後出火ニて御類焼被遊候
御使者ヲ以御見舞被仰進 御使者
御奥支配
一八町堀様ニてハ築地江御立のき被遊、御別条無之、御使者
ニて御見舞被仰進候
御使者
同断
一本遊院様江同断被仰進
一本多様江も同断被仰進候
一御同所様ゟも御使者被進候
一御機嫌伺被出候 不残
御医師
晴山
十月三日 天気
一夜中ゟ御庭ニ被為入候
一御前様夕七ツ時前頃御別条無ニ付御帰殿被遊候
一本多様御奥様氷川本多様江御立のき被為入御前様ゟ被進候
御しとね
御文庫内(カ)うるたへ被頼候
十月四日
一御仮家ニて御機嫌克御覚被遊候
一殿様地震後早速 御上使ヲ以 上意 仰蒙被遣在之段申上
ル幸橋様大地震之上御類焼被遊候ニ付、真華院様江御見舞
トして此節新堀ニ被為入候
御寿し 八寸一重
(窓の月 一重
御しとね
時之助様江
同断御寿し窓の月
御しとね被進候
一本多様ニも大地震御住居被成かね氷川御住居江御見舞トし

御奥様江
窓の月 一重

御すし 一重被進候
御上屋しき
一御前様ゟ 御菓子一重 御煮染一重被進
十月五日
一御仮家ニて御機嫌克御覚被遊候
一御上屋鋪ゟ御覚御伺被仰進
一殿様 一ちらし寿し一重
御前様ゟ一御煮染一重被進候
真華院様
時之助様江被進うる(カ)たゟ御届ケ被進候
御前様ゟ
別段紅白ハさるとふ着
真華院様江 被進
一御機嫌伺ニ罷出候 いつ
(注、殿様廻りの見舞、褒美等の記事多く、省略)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-1
ページ 823
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 松代【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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