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項目 内容
ID J1100106
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1828/12/18
和暦 文政十一年十一月十二日
綱文 文政十一年十一月十二日(一八二八・一二・一八)〔中越〕
書名 〔当世有聞北越地震実集 前編〕
本文
[未校訂]序 詞
夫震雷風雨の動静ハ陰陽の順逆に随ひ、大小多少の有事
ハむかしも今もさせるかハリはあらされとも、時にとり
てこゝろ言ばもなかりしハ、けにや夢に夢見心地こそせ
めさめて後徒に老至の翁に尋に他邦はいさしらす、国に
とりてハ前代未聞之変事とや、されハ徒にむなしく亡失
も詮なしと其あらましを書つらね、子孫へ物かたりせん
も言葉の林しけらず、風流の花も咲す、勿論玄妙之実を
むすハす、自分の文談のミにもあらず、人のふとし(ママ)に角
力をとる、ならハぬ筆に序する事しかり
文政十三寅仲春吉日
苦楽斎 感山一得誌
越後地震口説 北越三嶋住 苦楽斎撰
天地ひらけてふしきといふハ、近江之川うミ、するかの
富士ハたんだ一夜に出来たと聞に夫ハ見もせぬむかしの
事よ、爰にふしきハ越後のぢしん、いふもかたるも身の
毛かよたつ、ことし文政十一年のころハ霜月なかはの二
日、朝の五ツとおほしき時にどんとより上るぢしんのさ
わぎ、たばこ一ふくのミ居ぬうちに、ゑちこ七ぐんミな
よりうごく、わけてつよきハ古志・かん原、刈羽・三島
もつゐてうこく、かみハ長岡にゐかたかけて、をよそ道
法二十里余り、三条・今町・見付も潰す、あとハ一時の
けふりとなりて、夫につゝゐて与板やつばめ、在の村々
其かすしれす、潰れ家数ハ何万軒や、人の死すも何万な
るや、かすもかきりもあらまし計り、親ハ子を捨、子ハ
親をすて、ひよく(比 翼)れんり(連 理)の夫婦が中も、見すて逃出るそ
の行先ハ、小道大道ゆきかふ人の、目まひくらやミ皆た
をるゝを、見るにいかなる事そと思ふうちに、其身も前
後の人も、道をまくらにミな立かねる、そこやかしこに
あつまる人か、うはふさはふ(右 往 左 往)に大地がわれてとろを吹出
しゆく事ならす、火事の火の子が身にふりかゝり、あつ
やくるしやたすけてくりや、泣てさけひし其ありさまハ、
げにやきゆうくハん(叫 喚)大きゆうくハん(叫 喚)か、又ハめつして仕
舞てみろく出世の世となるやらん、いふもおろかやかた
るも涙、夫ハ中にもあハれハ三条、しかも其日は六才市
て、諸商ひ物ミな取ひろけ、青な花うりわれおくれしと、
御坊小路しにせきちもなきハ、朝じゝ参りの下向をまち
ん、まつまふとなくものさはかしや、北の方より家つふれ
くる、あつといふまに死人の山さ、潰家ごとに火がもえ
出て、火事のひえハ町中で御座る、西も東も南も北も、
逃るところなき死人の山よ、しかも朝風火かせをつれて、
わづか片時に人犬鳥も灰となりゆくあはれの事よ、是そ
誠の不定の世界ハ、宵に紅かんあしたに白骨、一家親類
いき残りたる近習近辺ミな打寄て、ほねをひろふも見わ
けハ出来す、犬のほねをも親兄弟か子孫ぢいばゞ他人か
しれず、骨に苗字も屋かう(号)もなくて、さかやはか所に埋
て見ても、更に安堵の思ひハなきそ、香花燈明おろそか
になる、されと末世の其印にハ、気こんさいれつ念慮も薄
く、せめて一夜もほうこんいてす、是を思ひハむかしの
人は智恵もすくれてうらみも深し、今に四国の矢しまか
浦に平家蟹とて人面そなへ、かにゝへんして残りてこさ
る、是ハ扨置此さいなんに、いそき祈禱やゆの花など、、
せつな念仏たいもくとなへ、じゆずをぐりても印かなく
て、ちうやたえせぬ地しんの日数、およそ七拾余日もや
ます、是を憐ミ其持ふんの、地頭地主は皆それ〴〵に、思
ひ〳〵の御手当あれと、ゆきハちらつくさむさわまさる、
そとに居られす家作も出来す、一家親類よりあつまりて、
大工なけれハほつ立小屋に、とまをかふりていく夜もあ
かす、ふすまなけれハ雪吹か入て、夢も結す八声の鳥も、
さぐる事なきうつゝの如し、誠に今年ハ大悪作で米も高
直諸色も高し、夫に前代未聞の変事、是をつく〳〵かん
かへ見るに、士農工商儒仏も神も、道を忘れて利用を好
ミ、上下わからすおこりをきハめ、武家ハ武をすてそろ
ばん枕、夫を見ならふ下役人も、鉄炮うたねハ諸用をね
ふる、むかし違作の咄をきくに、くづのねをほりいそなを
つんて、夫て銘々身命をつなき、上の御収納作よく米も、
ミぢん是なく相納るに、今の百姓ハそれとハちかひ、少
し違作の其年柄にても、御意見頭の拝借なとゝ上へ御く
らうかけたるしたい、あるのないのと親方前ハうその八
百おのれをおごり、米の黒いハ大そんなどと、三(味)噌ハ三
年たゝねハ喰す、在に髪結風呂屋に居酒、名古や水のミ
ほう公人も、はをりからかさたひぬり下駄に、下女や子
供も盆正月は、いつち悪いかちりめん帯で、ぎんのかん
ざしべつ甲のくしに、開帳参りの風俗見れハ、旦那様よ
か御供がりつハ、夫ハさて置職人風儀、青梅綿入なミの
帯に、こんのもゝ引白たひはいて、朝ハをそうて休ミか
長へ、作料たさねハやとハれませぬ、酒ハ日に二度肴を
そへて、天命恐ぬ我儘事、又は近年町家の屋作たがひ美々
しくせりあいつくり、二重たる木にあかかねまきて、屋
根ハのしふきはしらのたけハ、てふと昔の二本の長さ、
けやき作りの造作みるに、御殿まハりか宮拝殿か地下の
普請と見られぬしかけ、そして近来町在ともに、ちやの
湯ごしゆうきうたはいかいも、家業かこつけ借金かさね、
子孫思ハすいのしゝ武者ハ、我をわすれて奢にのほり、
先祖代々あつかりものゝ、田地山はた家財や道具、子そん
はんしやうもわか手になくて、親の法事や先祖の遠忌月
忌香花ハたかするはつしやかミや、仏や先祖のはちをす
てにをのれか身に引受て、此世計りか来世のすへをおも
ひ〳〵にふんへつめされ、うら家店かりぼてうりなとも、
米か安ひハけんしき高く、在郷ものをは足下に見なし、
五十もふけりや口すき有と、いふにいはれぬくハうけん(高 言)
はきて義太夫めりやすとミ本抔と、ちよつとしやれにも
江戸前計り、夫ハ扨置此近年の、儒者の風義をつく〳〵
見るに、黒の羽織に大小をびて毛唐人かよたれをなめて、
詩たの文たのかうしやくなとゝ、鼻の高は天ぐのいり銭
のないのか猶ひかたちて、大酒道らく遊興このミ、をの
れ計りか弟子ど(も)母達も、かねをつかうを風流人と、道を
守を大ぞく(俗)などと、書物よみ〳〵しんしやうをつふす、
わけて近年寺衆の風義、清僧坊主ももつたいらしく、赤
いころもハさしミのにほひ、光る御けさハ白粉のかほり、
寺の門前きんふくれと、いつのまニやら墨をもいれす苔
か茂りてけに古めかし、なとゝたハむれ酒ゑんをもふけ、
それか中にも物知り和尚、むかしおもひハけにありかた
や、おいち高台寺や円正寺、おすきおらかためにハ女開
山よ、金か有なし肉しきゆるす、せにかなけれハ大根な
つけ、酒かのめぬとふと思ひだし、仏間からかミそろり
と明て、せめて是てもなまぐさすがた、もくぎよ取出し
大鼓に打て、じんくおとるやおけさをおとる、朝のつと
めハ小僧達計、宵のつとめ之かねうつ計、ねまの状差か
な文計り、門徒坊主ハ利よくに奢、祖師の法事や手まへ
の仕事、たゝみ屋ねかへざう作迄も、是ハうやまひ御ほ
うしやなとて旦那衆ヘハくわん金かけて、法事仕舞た咄
を聞に、今度法事ハ時節かわるて、参詣不足てもふけか
ないと、祖師の法言をあきなひらしく、人目はぢずに咄
をめさる、ごしやう(後 生)しらすのひれつのものも、かねを上
れハ信心ものと、寺へゆきてあしらへちかふ、なんぼし
んじんれうけの人も、金をあけねはけたう(外 道)じやなどと、
死道おさへて判形せぬと、上を恐ぬ法外計、そして近年
あんしん前もいたこふしかやかん〳〵ふしか、くわんけ
法だん只長〳〵と、ついにさんたいいひうしなひて、し
まへすかねハ御ほうしやこはせ、銭を取こと手柄にめさ
る、口へいだすハ自力のためのみ、口へたさねは改悔に
そむく、おはり言合あらそいはかり、どれがほんやら死
なねばしれぬ、いかににくじきゆるしかあれハ、さゝゐ
つぼやきゆてすにしやうゆ、すつぽん鯉鮒うなぎ死たか
たちハとりをきならす、人もやとハす手れうり(料 理)めさる、
仏きらひの神道衆も、和学神かく六根清浄、はらへ玉へ
と家財をはらへ、きよめ玉へと質置なかし、禰宜の社家
しやの神主しやのと、神の御もりと身を高ふりて、とみ
をつくやら信心からと、やましあつめて山事はかり、祈
禱かしらハ銭からきハめ、それて神りよにかなふかしら
ん、士農工商儒仏も神も、口説ことばのちかひハあらし、
天のいましめ今よりさとり、恩と孝との二つの道と、を
のれ〳〵がしよくぶん守り、上に居る人下あハれみて、
下に居る人かミ敬て、つねに慈悲心けんやく守り、おこ
る心をつゝしむならハ、かゝる変事の地震もあらし、神
もほとけも天道さまも、めくみ玉ハんあゝ有かたや、米
も下しきにしよ色も安く、地しん所か波風たゝす、、四海
太平五こくもミのり、子孫はんしやうはなしのたねと、
つふれ小屋にも千秋万歳めて度かしく
附り万歳楽
とこわかに御万歳とハ御代もさかへてましませは、あい
きやう有たるあら玉の、とし立かへる朝夕より、震雷風
雨もやわらきて、連理の枝をならさす四海の波静にて、
五風千雨の時をあやまたす、相生の松にハひよくの鳥の
巣こもりて、千秌(秋)のちきりを結ひ正木のかつら長キ世
と、さすかいなにハ借さひを払ひ納る手には寿ふくをい
たき千秋楽に世渡にハ無理なことせすおこりせす、万歳
楽にいのちをのふるハ、酒博色の三道に長慮なく用心杖
をつかねハすべる世の中ぞや、たのしむ次ハくるしむぞ、
くるしむ次ハたのしぞ、この二道ハ万道へつうじ、里数
さらにかきりなきものならんとかくいふものハ 世の中
苦楽斎
愛たさも 重りくらば ゆるんすな
おそるゝ事の あるにつけても
感山一得
出典 新収日本地震史料 第4巻 別巻
ページ 359
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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