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項目 内容
ID J1100107
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1828/12/18
和暦 文政十一年十一月十二日
綱文 文政十一年十一月十二日(一八二八・一二・一八)〔中越〕
書名 〔当世有聞北越地震実集 後編〕
本文
[未校訂]後序文
市川ゑひ蔵か発句に 二本めハ与市もこまる扇かな 先
に前編やらやつと序文して猿か人まねせしを夜語の友わ
れをむしやうにそゝのかし、又序せよ木の□へ(空カ)上る色事
とハむかしの事よ御れ(おのカ)と雨後のひきかへるのつらのか
ハあつくもしるし畢
文政十三寅弥生吉日
感山一得誌
越後地震口説 後編 苦楽斎著
地しん変事の口説に付てふしき〳〵と口さき計、士農工
商儒仏も神も、道にそれたる穴ある事は、先にあら〳〵
書つらねしが、五十年来世のかはりしハ人気事か万仏迄
も、昔沢山今たえてなし、むかし不足ハ今沢山よ、野山
松の木村毎丈よ、寮司坊主もめつらしからす、又ハ民家
に尼沢山よ、すかたしよしゆうに身の墨染ハ、後生大事
と世を捨たるハ、 一人子たからうしなふものか、又ハさ
かりのかつてにわかれ、これハ国中尋て見れハ一人二人
か三人に過すせめて病身世にすたれもの、さかり女のて
いはつきけハ、今の世の中りつハかはやる、娵に行にも
したくかかゝる、しうとすまひハ気かむづかしく、今ハ
末代みな事かハリ、清僧寺院ハ髪の毛いらす、女世帯ハ
世わたりよいと、うつる三衣に乳くさきかほりまつ香た
き〳〵ちくち(カ)をよする、むつきせんたくつけひも着物、
日よりよけれハ門前迄も、ひろけほしをくうき世となれ
ハ、そこを通し[小|コ]さかなうりも、しあんかほにて寺うち
なかめ、いつのまてかわ改宗あると、ゑんりよ有まへな
ま塩さかな、お買なされと立よることよ、御代もつ□ハ
しゆかいのゝちか、又ハ千部のつるしの後か、御布施し
ゆなふハころよいうけん、是ハ扨をき近年の寮司坊主の
修業をきくに、過半銭かね上京させて、年に両度のかう
しやくきかせ、それを手からに其身ハゆかす、他人聞事
ぬすんてうつし、をのか聞たる風情に見せて、不浄説法
そらおそろしや、祖父かちう夜のなんきもいはす、ざう
りわらじでためたる銭を、わつかいち座に四五度の御報
謝、祖母か目やにをぬくふてちん苧孫にかくして一せん
くれす、是もくわんけのさいにとられ下向もとりて残り
しものハ、しびれ薬のひたいのちりよ、ひかん七日も三
日ハけたい、またハ近来医師衆を見れハ病家大小ひんふ
くいハす、となりむらへも馬かごさハぎ、朝な夕なの病
人廻り、かるい病者もやく礼次第、ちたい是なく日に二
度三度、しやれい少ハ重病にても留守の急用のせん約抔
と五度も七度もむた足あゆむ、又ハ命に御はらぬ病者、
ゆ水のむやうなくすりをもるに、さじのかげんと小くひ
をひねる、灸治湯治をきへ(ママ)たるとても、うハの空ふく風
あひさつよ、それて仁心あらふかしらん、夫ハ扨て置修
験をみれは、今か世の中仏法繁昌、あくま外道もたゝり
をなさす、祈禱まじなひとやみか道て、家内けんそく渡
世にこまる、ゑんの行者の道ふみながら、無分別なるわう
(王)道ものよ、まこと行法申さうならハ、山に伏故山伏とよ
ぶ夫ハつま子の不動のなハよ、今ハつなかれせんかたな
さに法花坊主と心をあハせ、いつなつかひをやとふて来
り、国中かすめて狐をつける、大家富家のかね取出して、
悪事きハまりつゐあらハれて、知行一番大主のいせい、
国のすみくせいばいありて、もはやきつねもばけあらハ
れる、けんせいのりのをハりハあハれ、扨も和国ハ異国
にすぐれ、天照大神守らせ給ふ、天の岩戸ひらけし以来、
月夜からすハまよふて鳴が、をのか心のおよハぬ先はふ
しきかりてハむた銭つかふ、むかし金毛九尾の狐、唐や
天竺渡りて来り、しゆ〳〵のへんけに人みなまよふ、さ
れと神明の和国の徳に、つゐに猛狐も身をほろぼして、
石となりたるためしもござる、ふしきかる人ふしきをし
らす、こゝに当国越後の国ハ、七ツふしきがある其名だ
にしらぬもの多に、しりかほしたへちよつと七ツのふし
きを立ん、一に燃土禰んどと土たく事よ、二にハ[燃|ねん]水くさらつ
あぶら、三に白兎とうさぎのことよ、四季に毛いろのか
ハるといふそ、四にハ胴鳴り、五にかまいたち、六に無
縫塔蒲原郡かわらたになる陽善寺にて、注(坊)主せんけの三
年前に墓のしるしの石塔石か、たれもしらぬに渕よりあ
がる、若い注(坊)主ハこれいやまりて、けさや衣に其石つゝ
み渕へ入てもいくどもあがる、されど此寺出ほんすれは
死なんのがるとつたへて御座る、七ツ火井ハ三条の南、
山の麓の如法寺むらに、百姓庄右衛門いろりのすみに、
石の小穴に竹つきさして、焼火かさせて火がもえ出て、
きゆる事なくともし火となる、夜のたすけをむかしも今
もかハる事なく重宝ものよ、またもいろ〳〵ふしきハあ
れど、是か当国七ツの不思儀是ハ一世のふしきて御座る、
仏法ふしきハからてんぢくも、わけて日の本津々浦々も、
わたりとられし其印には、死かいとり置寺々の役、火葬
土そうにほうむりあるも、是ハ諸宗もみな同じことそれ
か中にも不思儀といふハ、五きやく十あく男女をいわす
無類無行の尼かゝまでも、弥陀のちかひをしんするなら
ば、みらい仏花をひらくとござる、是かふし義の親玉な
らん、是ハ扨置今世の人気、金の位功をしる人ハしる、
しらぬあハらか夫見習て、もうけこととて他のこしあて
に、池やぬま地を覗てあるき、人ハ死ふかたをり□□よ
か、まゝよをのかゆくすへ身つまりまても、分と別との
弁へなしに、上のお益と斯開見たて、うその有たけミな
かきたてゝ、五度も七度も御けんしうける、池や潟沼舟
引まわし又ハ野山をかけ廻りてハ、民の志よ作をふミあ
らしてハ、野于たぬきのすむみ山まて、まいすけいのく
有たけつくし、田うへ時分や田の草さかり義理もいはす
に人馬のついえ夫ておのれか身か立ものか、いまたかい
ふつこれなき内に、うその祢かほれ身の上とこかつま子
けんそくミなちりにあとの家小屋うり物となる、屋敷ま
ハリはいつのまにかハ野ら地となりて、狐むじなが新開
いたす、早きむくひハ月日もまたしそれが中にも新田金
主名利ふたつのすまふを組て、四本はしらにまく打まハ
し、検使たひてうちハをあけん、さし手引手も古実には
つれ、利足とるとて土俵ふミはつし、今はかね元へたま
けとなる、これをつく〳〵かんかへ見るに、過去に其種
まき入もせす、なんてこの実かとられるものか、是をお
もひハよきあしきとて、さのみしうちやくいたさぬこと
ぞ、きのふけふかとおもひしことも、そや三とせの春秋
送而地しん変るに潰され家も、天のめくみに作方よくて、
在も町家も追々たちて、先ハあんとに家うつり祝ふ、な
んほ末世の今世とても善と悪とハくるまの両輪、治乱ふ
たつも同しことよ、人ハ一代名ハ万代、そをそれつゝし
みゆくすゑなかく、松の十かへり花咲はるのはなしもの
にと書のこす
出典 新収日本地震史料 第4巻 別巻
ページ 362
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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